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2020年07月25日08:32

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仏教32〜阿弥陀信仰、法華経

●阿弥陀信仰

 大乗経典のうち特に古いものの一つに、『大阿弥陀経』がある。浄土系経典の最初期のものである。ここにおける阿弥陀信仰は、早期に仏教の有神教化が鮮明になったものである。
 阿弥陀信仰は、現世に出現したゴータマ・ブッダへの信仰ではなく、西方の極楽浄土にいるとされる阿弥陀仏または阿弥陀如来への信仰である。阿弥陀はアミターバすなわち無量光、またはアミターユスすなわち無量寿を漢訳したものであり、阿弥陀如来とは、「無量の光あるいは寿命を持つ仏」を意味する。
 阿弥陀信仰には、ペルシャの宗教の影響が見られる。ペルシャで盛んだったミトラ信仰のミトラは太陽神であり、またゾロアスター教の最高神アフラ・マズダは光の神である。阿弥陀如来が無量の光を持つ仏とされたのは、こうしたペルシャ系の太陽神・光明神を仏教の中に取り入れたものと考えられる。
 また、ヒンドゥー教の影響があるとも考えられる。ヴィシュヌは、太陽が光り照らす働きを神格化したものであり、太陽神にして光の神である。ヴィシュヌ信仰は、紀元前後から徐々に盛んになったので、これが阿弥陀信仰を誘発したり、ヴィシュヌを信仰していたヒンドゥー教徒が仏教徒となって阿弥陀信仰に転じたりした可能性がある。
 もとがミトラにせよ、ヴィシュヌにせよ、阿弥陀信仰は、阿弥陀仏という一種の神格への信仰であり、仏教の有神教化をはっきりと示すものである。それは、すなわち仏教のヒンドゥー化の現象である。
 阿弥陀信仰は、死後、西方の極楽浄土に往って生まれることを望む。これを極楽往生という。インドの阿弥陀信仰は、浄土に生まれた後、阿弥陀如来の説法を聞いて修行をして悟ることを目指す。それゆえ、信仰だけでなく、修行も必要だとする。ところが、わが国における阿弥陀信仰は、浄土真宗の開祖・親鸞の教えが典型的であるように、「南無阿弥陀仏」すなわち「阿弥陀仏に帰依します」と唱えるだけで、誰もが阿弥陀如来のいる極楽浄土に往生できると信じるようになった。これは、完全他力である。自力による修行は、必要ないわけである。また、浄土に生まれることが最終目的とされ、ただ浄土への往生を願うものとなった。日本人は、仏教を通じてインド文明の輪廻転生の観念を受け入れたが、この極楽往生の願いは、仏教の多生説より、神道の単生説に近いものになっている。
阿弥陀信仰に基づく浄土系経典は多くあるが、日本では、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三つを浄土三部経と総称している。

●『法華経』

 阿弥陀信仰は仏教の有神教化の早期の例だが、さらに発展した段階の例の一つが、『法華経』の信仰である。
 『法華経』は、紀元前後にインド北部で成立したと見られる。『妙法蓮華経』が正式名称であり、「蓮華のような素晴らしい教えを説く経」を意味する。蓮は泥の中から現れるが、その花は泥に汚されることなく、白く美しく咲くことから、この経典の名称に使われている。
 『法華経』が成立する前、大乗仏教では、出家者より在家者の優位を説く経典が現れていた。『維摩経』は、在家者が出家者をやっつける筋書きであり、菩薩の理想像を在家の維摩居士の姿に描いている。また、『勝鬘経』は、国王の娘である勝鬘夫人が釈迦の神通力を受けて在家信仰を鼓吹した。
 『法華経』は、前半を迹門(しゃくもん)、後半を本門と呼ぶ。迹門においては、それまで大乗仏教の一部が部派仏教の出家者は悟りを得ることができないとしていたのと異なり、釈迦の教えを聴いて悟りを求める声聞(しょうもん)、師を持たずに悟りを求める縁覚(えんがく)も、悟りを得ることができるとした。
 大乗仏教では、乗り物のたとえを使って、声聞乗、縁覚乗といういわゆる小乗の二乗と、大乗の菩薩乗という三つの道があるとする。部派仏教では菩薩乗を説かず、かわりに仏乗すなわち仏の乗り物を立てる。これに対し、『法華経』は、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗は一乗すなわち一仏乗に導くための方便であり、真実なる一乗によって一切衆生が等しく成仏し得ると説いている。これは小乗の二乗を否定せずに包摂するもので、寛容で宥和的な思想である。
 本門においては、歴史上の釈迦は方便すなわち衆生を正しい教えに導くための手段として現れた姿にすぎず、本当は永遠の過去から存在し、常住・不滅であることを強調する。その一節に大意次のように書かれている。「私が仏陀になって以来、限りない年月がたっている。常に何億という衆生のために法を説き、教化して、限りない時がたった。衆生を救うために、方便として私が入滅した様子を見せるが、実は決して入滅することなく、いつも法を説いている」と。
 この本来の仏を「久遠(くおん)の本仏」という。ここには、宇宙の根本原理であるブラフマンとヴィシュヌを同一視して最高神とするヒンドゥー教の影響が濃厚である。
 『法華経』本門の思想は、阿弥陀信仰より仏教の有神教化が一段と進んだものである。釈迦を超人化・神格化した仏教は、釈迦を一種の人間神とした。次にこの人間神を宇宙神に高め、さらに宇宙神が人間の姿を取って歴史的世界に出現したものが釈迦であると理解し直した。その理解に立って、『法華経』が編まれたと解することができる。
 『法華経』には、個人の救済だけでなく鎮護国家の思想がある。護国経典としては『金光明最勝王経』こと『金光明経』、『仁王護国般若経』こと『仁王経』が代表的だが、『法華経』もこれらとともに鎮護国家の経典として重視された。『金光明経』はインドで成立後、様々な言語に訳されて重用されたが、『仁王経』はシナで作られた偽経と見られる。
 『法華経』は、罪障を消滅する経典としても尊崇された。とりわけ提婆達多品は、どんな悪人でも、また女性でも滅罪がされ、成仏できる経文として尊崇された。仏教では女性は救い難い者とする思想が支配的になってきていたが、提婆達多品は、女性を死後、男子に変えて成仏させるという女人成仏を説いて、女性に救いの道を示したものとして、女性の信徒の信仰を集めた。
 『法華経』は、非仏教徒に仏教の信仰を勧めるとともに、仏教徒を含むすべての者に対して『法華経』を崇拝すべきことを説いている。他の大乗仏教の経典に見られないほど、『法華経』は排他的・闘争的である。「南無妙法蓮華経」を唱える儀礼は、この経典の題目を唱えて「『法華経』に帰依します」という信条を告白するものである。経典自体の神聖化は、ヴェーダの宗教がヴェーダ文献を聖典とすることに類似している。
 『法華経』は「経典中の王」と呼ばれるが、インドの仏教哲学者たちは『法華経』をあまり重要視しなかった。『法華経』を中心とする宗派も成立しなかった。だが、シナで智據覆舛)が『法華経』を高く評価し、日本では聖徳太子、最澄等が重んじ、日蓮はこの経典を絶対とする日蓮宗を開いた。

◆観音信仰
 『法華経』の本門には、観世音菩薩普門品という章がある。観世音菩薩が一切衆生を救うことを説くもので、独立して観音経となり、観音信仰の経典となった。
 観音信仰は、4〜5世紀以降に顕著になった。観音は観世音菩薩あるいは観自在菩薩の略称で、もとはアヴァローキテーシュヴァラの漢訳である。
 観音信仰は現世利益を求める信仰と結びつき、様々な利益に応じて変化身(へんげしん)が現れるようになった。衆生の求めによって姿を変えるとされ、三十三身が最もよく知られる。輪廻転生の世界を六道に分ける世界観により、それぞれの領域にある衆生を救う菩薩として、六観音が立てられた。十一面観音には、多くの顔を持つヒンドゥー教の神々の影響が見られる。また千手観音は、千手千眼観自在菩薩の略称で、千の眼を持つインドラや千の手を持つヴィシュヌやシヴァの影響である。ここにも仏教のヒンドゥー化が明確に現れている。

 次回に続く。

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