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2020年05月29日10:07

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仏教8〜縁起、四法印、ダルマ

●縁起

 釈迦は、すべての事物は五蘊が仮に集まって出来上がっているにすぎないと説くが、これは事物のあり方に関する教えである。これに対し、事物の生じ方に関する教えが、縁起説である。
 縁起とは、サンスクリット語のプラティートゥヤ・サムウトパーダを意訳した漢語で、因縁生起(いんねんしょうき)の略である。英語では、しばしばinterdependence(相互依存性)と訳される。
 縁起説とは、すべてのものは、何らかの原因と条件によって生じるという縁起の理法を説き明かすものである。縁起説では、直接的原因を「因」、間接的条件を「縁」という。間接的条件は幅広く、環境を含む。これらの因と縁を合わせて、因縁と呼ぶ。因縁生起説を略して縁起説という。
 古代インドでは、ヴェーダの宗教が世界は「一なるもの」から発生したとする説や神が世界を造ったという説を教えていた。釈迦の縁起説は、これらを否定する理論である。ヴェーダの宗教では、ある行為に相応の結果が生じるのは神の意志によると説いたが、これを否定し、行為の結果は因縁果の法則によるとするものである。
 仏教は、人間の苦しみの原因を突き止め、その原因や条件を消滅することによって、解脱に至ることができると説く。苦しみからの解放のために、苦の原因・条件すなわち因縁をさかのぼって根本原因を明らかにする理論が、十二縁起説である。十二因縁説ともいう。
 十二の項目は、無明(むみょう)、行、識、名色(みょうしき)、六処、触(そく)、受、愛、取、有、生(しょう)、老死である。これらのうち、名色は名称と形態、六処は眼・耳・鼻・舌・身・意の六種の感覚器官、愛は渇愛、取は執着、有は生存を意味する。ここで苦の根本原因とされるのが、無明である。無明は、真理に暗いことであり、無知である。これこそ、一切の煩悩の根源とされる。
 縁起説における因果関係は、基本的に「AがあればBがある」「Aが生ずるからBが生ずる」「AがなければBはない」「Aが滅するからBが滅する」という形式になる。また、因果関係には、二つの相反する方向がある。迷いの生ずる方向の因果と、悟りに至る方向の因果である。十二縁起説は、このような因果関係を、苦の原因があるから苦が生じるという分析によって具体的に説く。また、結果から原因を推量するのではなく、原因から結果へと展開する説き方になっている。
 仏教の歴史では、様々な縁起説が説かれた。我の否定の項目に書いた釈迦の無我説をどのようにとらえるかによって、因縁生起についての思考も変わってくる。そのため、業感縁起・頼耶縁起・如来蔵縁起・法界縁起等の諸説が現れることになった。詳しくは、歴史の項目に書く。

●四法印

 五蘊の理論と縁起説を合わせてとらえると、すべてのものは何らかの原因・条件によって生じており、そのもとになっている原因・条件が尽きた時に滅びるという仏教の考え方が明確になる。
 あらゆるものは相関的であり、変化して止まず、恒常不変の本質を持たない。他に拠ることなくそれ自体で存在するもの、無条件に成立しているもの、永遠に存続するものは、存在しない。釈迦は、これを真理とし、その真理を悟って煩悩を絶つことによって、涅槃に入ることができると説いた。
 こうした教えは、やがて三法印として整理された。法印の「印」は、「しるし」「標識」を意味し、法印は、仏教の根本的な教義を特徴づける教えをいう。
 三法印は、次の通りである。

 諸行無常: あらゆるものは変化し、恒常的なものは存在しない。
 諸法無我: あらゆるものは因縁によって生じ、不変の実体である我は存在しない。
 涅槃寂静: 迷いを払拭した悟りは、静かな安寧をもたらす。

 これらの三法印に、すべてのものは思い通りにならないことを意味する「一切皆苦」を加えて、四法印ともいう。
 四法印と四諦を比較すると、諸行無常と諸法無我は四諦にはなかったものである。これらは、四諦になかった考察を加えたものと言えよう。一切皆苦は苦諦に当たり、涅槃寂静は四諦の真理を学んで目指すべき目標である。
 ヴェーダの宗教は、有神教的・一元論的・実体論的だが、四法印は、仏教がそれとは根本的に異なる教えであることを明確に示している。

●ダルマ(法)

 四法印の「法」は、ダルマの漢訳である。ダルマは、インド文明の思想における中心的な言葉であり、また極めて多義的である。仏教では、ダルマすなわち法の語は、主に釈迦の教え、また、その教えの内容である真理を意味する。
 ダルマには一般に、ものの本質・特性という意味もあることから、部派仏教では、森羅万象を形成する事物の構成要素の意味でも使われる。また、四法印の一つ、諸法無我における法は、事物あるいは存在者を意味する。
 ここで注意したいのは、五蘊の理論と十二縁起説は、ともに人間の認識能力や心理作用に関するものであり、認識論的であり、また心理学的であるのに対し、四法印は人間だけでなく自然を含むすべての事物に関する教義となっていることである。すなわち、存在論的側面や自然学的側面を含む総合的な真理として定式化されている。

●対機説法

 釈迦は、相手に応じて、法すなわち教えの説き方を変えた。その説法の仕方を、対機説法という。機とは機根すなわち能力・素質を意味する。その説法の仕方を、病に応じて薬を与えることにたとえて、応病与薬ともいう。
 後代の仏教では、「人(にん)を見て法を説け」という。

 次回に続く。

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