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2020年02月23日08:52

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インド52〜密教の教え、初期密教

●仏教の密教化(続き)

・密教の教え
 密教は、大乗仏教の発展の末に現れた宗派である。初期仏教教団では、治病・延命・招福等の呪術・密法を厳禁した。だが、徐々に、それらを認める傾向が現れた。そして、大乗経典には、陀羅尼(ダーラニー)・明呪等と呼ばれる呪文が盛られるようになった。さらに呪術的な儀礼を説く密呪経典も現れた。こうした動きは、ヒンドゥー教の影響によるもので、仏教においては傍流である。
 だが、4〜6世紀のグプタ朝の頃に、この傍流が徐々に強まり、7世紀頃から勢いを増し、大乗仏教の他の宗派と区別される集団を形成した。それが密教である。
 密教とは、秘密に説かれた深遠な教えの意味であり、秘密教・秘密仏教・真言密教ともいう。密教の側から、密教以外の宗派を顕教(けんぎょう)という。顕教とは、広く民衆に開かれ、文字言語を以って教えを説くものである。密教は、これに対し、修行者の集団に限り、その教義と儀礼は師弟間で伝承される。また、象徴的・暗示的な表現が多い。
 密教の教義は、歴史上に現れた釈迦仏に対し、法身仏である大毘盧遮那仏(マハーヴァイロチャーナ・ブッダ) こそ真実の仏、本仏とする。毘盧遮那は、『華厳経』に現れる仏である。原語のヴァイロチャーナは「輝きわたるもの」を意味することから、シナで「大日」という意訳も行われた。これが漢訳経典の名前に使われている。『大日経』では、大毘盧遮那仏が大日如来と呼ばれる。
 密教は、自らを大日如来が説く教えであると主張し、それ以外の仏や菩薩は、すべて大日如来に包含され、大日如来の徳を表すと説く。これは、一即多、多即一の論理構造を示す思想である。さらに、従来の宗派にはなかった明王が多く加わり、仏教以外の神々や聖者を取り込み、これら多数の諸尊も、みな大日如来の現れであるとする。
 こうした大日如来を中心・根本とする諸仏諸尊を図示したものをマンダラという。シナ仏教では、曼荼羅と書く。マンダラは、ユングが分析したように、円または4の倍数を要素とする。密教のマンダラも円または4の倍数を要素とし、その要素を持つ構図に、諸仏諸尊が配置されている。
 密教では、衆生は本来仏性を具有しているとし、密教の教義を修め、秘密の儀礼を実践することによって、仏・菩薩と感応し、肉身のままで究極の境地に達し、仏陀となることができると説く。これを即身成仏という。即身成仏は、ヒンドゥー教における生前解脱に当たる。初期仏教・部派仏教は現世否定的だったが、密教は現世肯定的である。ヒンドゥー教では個我における輪廻転生の世界からの脱却が目標だが、密教ではむしろ現世における救済活動に重点が置かれている。この点が利他をよしとする大乗仏教の一派としての特徴を示している。

・初期密教〜仏教の一層のヒンドウー化
 グプタ朝は6世紀に滅亡し、その後、7世紀初め、北インドにヴァルダナ朝が成立した。その王ハルシャ=ヴァルダナは仏教に帰依し、仏教を保護した。グプタ朝時代に設立されたナーランダー僧院に唐から玄奘や義浄が来て学んだのは、彼が統治した時代である。だが、彼の死後、内部抗争が激しくなり、ヴァルダナ朝は7世紀半ばに滅んだ。そのため、仏教は王朝の保護を失い、教勢が衰えていった。
 こうした展開のあった7世紀頃から、密教はベンガル地方で盛んになった。この時代の密教を初期密教という。わが国では、後の時代の密教と区別して雑密(ぞうみつ、雑部密教)とも呼ぶ。
 初期密教は、ヒンドゥー教の神々を多数組み入れた。最高神シヴァは大黒天、ヴィシュヌ神の妃ラクシュミーは吉祥天、ブラフマーの妃サラスヴァティ―は弁才天、象頭のガネーシャは歓喜天となった。他にもシヴァの次男である軍神スカンダは韋駄天、夜叉の女神ハーリーティーは鬼子母神となるなど、ヒンドゥー教由来のものが諸仏・諸菩薩と一緒になって、仏教的な表現のもとに、一種のパンテオン(汎神殿)を構成している。

 次回に続く。

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