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2020年01月25日08:53

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インド45〜法華経、観音信仰、弥勒菩薩

●『法華経』

 阿弥陀信仰は仏教の有神教化の早期の例だが、さらに発展した段階の例の一つが、『法華経』の信仰である。
 『法華経』は、紀元前後にインド北部で成立したと見られる。『妙法蓮華経』が正式名称であり、「蓮華のような素晴らしい教えを説く経」を意味する。蓮は泥の中から現れるが、その花は泥に汚されることなく、白く美しく咲くことから、この経典の名称に使われている。
 『法華経』が成立する前、大乗仏教では、出家者より在家者の優位を説く経典が現れていた。『維摩経』は、在家者が出家者をやっつける筋書きであり、菩薩の理想像を在家の維摩居士の姿に描いている。また、『勝鬘経』は、国王の娘である勝鬘夫人が釈迦の神通力を受けて在家信仰を鼓吹した。
 『法華経』は、前半を迹門(しゃくもん)、後半を本門と呼ぶ。迹門においては、それまで大乗仏教の一部が部派仏教の出家者は悟りを得ることができないとしていたのと異なり、釈迦の教えを聴いて悟りを求める声聞(しょうもん)、師を持たずに悟りを求める縁覚(えんがく)も、悟りを得ることができるとした。
 大乗仏教では、乗り物のたとえを使って、声聞乗、縁覚乗といういわゆる小乗の二乗と、大乗の菩薩乗という三つの道があるとする。部派仏教では菩薩乗を説かず、かわりに仏乗すなわち仏の乗り物を立てる。これに対し、『法華経』は、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗は一乗すなわち一仏乗に導くための方便であり、真実なる一乗によって一切衆生が等しく成仏し得ると説いている。これは小乗の二乗を否定せずに包摂するもので、寛容で宥和的な思想である。
 本門においては、歴史上の釈迦は方便すなわち衆生を正しい教えに導くための手段として現れた姿にすぎず、本当は永遠の過去から存在し、常住・不滅であることを強調する。この本来の仏を「久遠(くおん)の本仏」という。ここには、宇宙の根本原理であるブラフマンとヴィシュヌを同一視して最高神とするヒンドゥー教の影響が濃厚である。
 『法華経』本門の思想は、阿弥陀信仰より仏教の有神教化が一段と進んだものである。釈迦を超人化・神格化した仏教は、釈迦を一種の人間神とした。次にこの人間神を宇宙神に高め、さらに宇宙神が人間の姿を取って歴史的世界に出現したものが釈迦であると理解し直した。その理解に立って、『法華経』が編まれたと解することができる。
 『法華経』には、個人の救済だけでなく鎮護国家の思想があり、『金光明経』、『仁王経』とともに鎮護国家の経典としても重視された。
 『法華経』は、非仏教徒に仏教の信仰を勧めるとともに、仏教徒を含むすべての者に対して『法華経』を崇拝すべきことを説いている。「南無妙法蓮華経」を唱える儀礼は、この経典の題目を唱えて「『法華経』に帰依します」という信条を告白するものである。経典自体の神聖化は、ヴェーダの宗教がヴェーダ文献を聖典とすることに類似している。
 『法華経』は「経典中の王」と呼ばれ、シナでは天台智據日本では聖徳太子、最澄等が重んじ、日蓮はこの経典を絶対とする日蓮宗を開いた。

◆観音信仰
 『法華経』の本門には、観世音菩薩普門品という章がある。観世音菩薩が一切衆生を救うことを説くもので、独立して『観音経』となり、観音信仰の経典となった。
 観音信仰は、4〜5世紀以降に顕著になった。観音は観世音菩薩あるいは観自在菩薩の略称で、もとはアヴァローキテーシュヴァラの漢訳である。
 観音信仰は現世利益を求める信仰と結びつき、様々な利益に応じて変化身(へんげしん)が現れるようになった。衆生の求めによって姿を変えるとされ、三十三身が最もよく知られる。輪廻転生の世界を六道すなわち地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道という六つの領域に分け、それぞれの領域にある衆生を救う菩薩として、六観音が立てられた。十一面観音には、多くの顔を持つヒンドゥー教の神々の影響が見られる。また千手観音は、千手千眼観自在菩薩の略称で、千の眼を持つインドラや千の手を持つヴィシュヌやシヴァの影響である。ここにも仏教のヒンドゥー化が明確に現れている。

●仏の三身説

 釈迦の超人化・神格化の結果、仏の三身説が成立した。これは、仏を法身(ほっしん)・報身(ほうじん)応身(おうじん)の三相で考える説である。
 法身は、永遠なる宇宙の理法そのものとしてとらえた仏のあり方である。法身仏とは、法そのもの、永遠不滅の真理であり、釈迦の本体である。『法華経』の久遠の本仏は、法身仏であり、『華厳経』の毘盧遮那仏、『大日経』の大日如来もそうである。
 報身は、過去の修行によって成就した仏のあり方である。報身仏とは、修行の結果、願を成就して仏身を得たものである。すでに自ら仏となりながら、さらに衆生済度(しゅじょうさいど)のために様々な姿を取って利他の働きを行ずる諸仏をさす。済度とは法を説いて迷いから救って、悟りを開かせることをいう。阿弥陀仏または阿弥陀如来、薬師仏または薬師如来は、過去の修行によって仏となり、一切衆生の救済者となった報身仏とされている。菩薩ではなく仏陀である。
 応身は、仮に相手に応じて出現した仏のあり方である。応身仏とは、衆生を救うために、仏が如来や菩薩等の種々の姿を取って権(仮)に現れたものである。法が人格化した存在であり、歴史上に出現した釈迦は、これとされる。仏の化身であり、権現と呼ばれる。
 仏の三身説もまた明らかにヒンドゥー教の影響である。法身仏は、ヒンドゥー教におけるブラフマンに相当する。ヴィシュヌはブラフマンと同一とされるから、法身仏は、ヴィシュヌにも当たる。法身仏と応身仏の関係は、ヴィシュヌとその化身に対応する。ヴィシュヌの第9番目の化身が、ゴータマ・ブッダとされている。
 ヒンドゥー教では、実在した人間と考えられるクリシュナが超人化され、神の化身とされた。釈迦は紛れもなく実在の人物だが、その超人化・神格化には、クリシュナの場合と似た展開が見られる。その一方で、違いもある。クリシュナは軍人の英雄が民衆によって神格化され、神の化身に祀り上げられたのに対し、釈迦は修行によって悟りに達した覚者が仏の応身とされている。
 このことに関連して、釈迦が原型となって過去の諸仏や菩薩等が生み出されたことについても、修行の実践による悟りという体験が不可欠である。ヒンドゥー教の化身は神の現れであるから、修行によって悟る必要がない。そのうえ、魚、亀、猪など人間ではない動物が、神の化身とされている。こうした動物が修行して悟ったのではない。
 なお、仏教には、ヒンドゥー教にはない報身仏があることも、特徴の一つとなっている。

●弥勒菩薩

 ヒンドゥー教は、釈迦をヴィシュヌの第9番目の化身とする。また将来、第10番目の化身カルキが現れると信じられている。この未来の救済者の観念が仏教に影響したものと考えられるのが、弥勒菩薩である。
 弥勒は、マイトレーヤの音写による漢訳である。現在、兜率天で修行中の菩薩であり、釈迦入滅の56億7000万年後に、この世に下生して、釈迦の救いに洩れた衆生を救済すると信じられている。
 マイトレーヤの名は、ヴェーダの宗教の神ミトラと似ている。ミトラは、先の項目に書いたように契約神・軍神・太陽神とされ、特に歴代のペルシャ王朝で国家の守護神として崇拝された。ゾロアスターの宗教改革後も、民衆の間でミトラ信仰が続き、ミトラを太陽神・光明神にして万物の豊穣を司る神と仰ぐミトラ教が現れ、紀元前1世紀からローマ帝国に伝わった。インドでも、民衆の信仰を集めた。このミトラ教のミトラが仏教に取り入れられ、マイトレーヤすなわち弥勒菩薩となったと考えられる。ミトラ教には、ゾロアスター教から受け継いだ未来の救世主の思想があり、これとヒンドゥー教のカルキの観念が結合し、仏教の菩薩となったものだろう。
 弥勒菩薩は、実在の人物が理想化されたものという説がある。釈迦の弟子でアジタというバラモン出身の出家者の伝説がもとになっている。弥勒信仰は、紀元後3世紀半ばまでに形成され、一時は盛んだったと見られる。インドには、多くの弥勒像が残っている。また、弥勒三部経と呼ばれる『弥勒下生経』、『弥勒大成仏経』、『弥勒上生経』が作られた。

 次回に続く。

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