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2019年12月13日08:26

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インド28〜アーリヤ人の時代

●アーリヤ人の移動

 インダス文明の滅亡後、アーリヤ人がインドの北西部に侵入した。アーリヤ人のインド侵入は、インド・ヨーロッパ共通基語を祖語とする諸民族の大規模な移動の一環だった。それらの遊牧民族は、人口の増加、寒冷化、旱魃等の理由によって、紀元前2000年頃から黒海北方の原住地を離れて様々な地方へ移動したと見られる。背景には、地球規模の大きな気候変動があったと推測される。
 西方へ移動した諸民族は、ヨーロッパ各地に拡散・定住し、現代ヨーロッパ諸言語族の祖先となった。東方へ移動した諸民族は、中央アジアの高原地帯で数世紀間、遊牧中心の生活を送った。その後、その一部がイラン高原に定住して、イラン人となった。またそこから分かれて東南方へ移動した者たちがいた。彼らがアーリヤ人である。言語学的にはインド・ヨーロッパ語族に分類され、西方のギリシャ人、ローマ人、ゲルマン人等と共通する文化を持つ。インドに入る前、アーリヤ人がイラン人の一部だった時代の民族を、インド・イラン人という。それゆえ、アーリヤ人とイラン人は、共通の宗教的な基盤を持っている。
 アーリヤ人は、イラン高原からヒンドゥークシュ山脈を越えてハイバル峠を通り、インド北西部へ侵入し、パンジャーブ地方に入った。移動は、かなりの年月かけて、波状的に行われたようである。

◆アーリヤ人の社会
 アーリヤ人は、家族を社会の基本的単位とし、家父長制の大家族で集団生活をした。男性を尊ぶ傾向が強く、女性の社会的地位は低かった。婚姻は一夫一妻が原則だった。祖先を共通する諸家族が氏族を構成し、いくつかの氏族で構成する部族が多数存在した。部族の族長は王を自称した。軍事は将軍が補佐し、宗教的儀式は祭官が戦勝祈願等の祭儀を行った。
 やがて諸部族が統合されて、唯一の王が独裁権を持つ国家が形成された。国王は、平時には人民を保護し、裁判を主催した。戦時には軍隊を指揮した。一般の人間と区別して神聖化され、威厳を授与したり誇示したりする祭儀が発達した。王権の伸長に伴って、祭官の権威が高まった。

◆アーリヤ人の語義
 アーリヤ人は、肌の色が白く、長身で鼻筋が通っている。アーリヤ人という名称は、「高貴な」「すぐれた」等を意味する形容詞アーリヤから来ている。もとは「部族の宗教を忠実に信奉する者」を意味し、次いで「同じ部族の者」を意味するようになったが、インドに侵入して先住民族を征服した結果、「支配階級の人々」という意味を持つようになった。

●インドでの定住

 インド北西部に侵入したアーリヤ人は、ヴェーダの文化を作り上げていった。これが、インド文明の文化の母体となった。そこで、一般に前1500年頃から前500年頃までの時期をヴェーダ時代と呼ぶ。また、この時代を、前1000年頃を境に前期と後期に分ける。
 アーリヤ人は、鉄器文化の段階にあった。前期の時代には、鉄器を使用しながら牛を飼育する牧畜を行って生活した。パンジャーブ地方に定住していたアーリヤ人は、前1000年頃から後続のアーリヤ人に追われ、より肥沃な地を求めて東進し、ガンガーの流域に広がった。この過程で彼らは先住民族を征服しつつ、インドの気候風土に即した農耕文化へ移行していった。また、先住民族との混血や文化的な融合が進んだ。

◆征服・支配とカースト制の形成
 アーリヤ人は、鉄製の武器を持っていた。鉄製の武器は、青銅製より強度や軽さや製造のしやすさ等で有利である。また彼らは遊牧民族なので、自由に馬を乗りこなした。軽快な戦車を駆使して、弓などの飛び道具を使用した。それゆえ、こうした軍事技術で勝るアーリヤ人は、先住民族を圧倒した。
 アーリヤ人が征服した先住民族は、『リグ・ヴェーダ』に「肌が黒く鼻が低い」と書かれている。その人種的特徴から、ドラヴィダ人の祖先やムンダ語を使用する未開民族の祖先等だったと考えられている。彼らはダーサ(悪魔)またはダスユ(魔族)と呼ばれた。
 アーリヤ人がガンガーの流域を征服していく過程で、カースト制が形成されたと考えられている。支配された先住民族は、最下位の身分であるシュードラにされた。
 古代ローマの奴隷は、大規模かつ組織的に使役され、手かせ足かせをはめられ、家畜同然に鞭で打たれて働かされた。インドで征服・支配された先住民族は、ローマの奴隷のような扱いは受けなかった。シュードラを奴隷ではなく、隷民と訳すのはそのためである。だが、カースト制は今日まで続く強固な身分制度となっている。

●インド的な気質への変化

 アーリヤ人は優れた軍事技術を以てインドの先住民族を圧倒したが、その後は、外敵の侵入を受けることの少ない比較的平穏な生活を送った。また、インド亜大陸に定住するうちに、熱帯性気候の影響もあって非行動的になり、かつての勇猛な気質や進取の気象が次第に失われていった。支配的な身分は、慣例を墨守し、安逸を貪るようになった。その反面、バラモンによって祭式の詳細な規定が発達し、それを記したヴェーダの文献は細目を極め、また哲学的・論理的な思考が深められた。

 次回に続く。

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