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2019年11月22日09:29

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インド25〜ヒンドゥー教の四住期

●四住期

◆意義
 カースト制に基づく種姓法とともに、ヒンドゥー教徒の生活を規定しているのが、生活期法である。前者は、生まれに関するものであるのに対して、後者は人生の段階に関するものである。
 ヒンドゥー教では、受胎から少年期までは一人前の人間ではないとする。ある段階まで成長したところから、以後を四つの時期に分ける。これをアーシュラマ(住期)という。学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期、遊行期の四つの住期があり、併せて四住期(チャトゥル・アーシュラマ)という。各住期には、それぞれ異なる目的と義務がある。人は、それらを段階的に経過して、最終目標である解脱を目指す。そのことが、生活期法に定められている。
 生活期の制度は、古来、ヒンドゥー教徒の生活に秩序と方向を与えるダルマ(規範)として機能してきた。単に宗教的なものではなく、慣習、道徳、法、社会制度等が含まれた総合的な規範の体系である。

◆通過儀礼
 四住期を生きていく過程には、様々な通過儀礼がある。これをサンスカーラという。サンスカーラは、受胎から死に至るまでの、人生の節目節目に執り行われる一連の宗教的・社会的儀礼である。いわば人生の途上に定められた一里塚のようなものである。
 今日、主要な通過儀礼は16種ある。最初が受胎式であり、胎内期間中に生男式、分髪式がある。誕生による生誕式に続いて、命名式、初遊式、食い初め式、結髪式、耳穴式、手習い式がある。そして、四住期の始まりとなる人生最大の儀式が、入門式である。続いて、学生期にはヴェーダ事始め式、薙髪式がある。帰家式を経て、家住期には結婚式があり、人生の最後に葬式が執り行われる。
 生活期法は、ヒンドゥー教徒がこれらの通過儀礼を体験しながら、人生を生き、最後の目標まで導く指針を与えるものとなっている。

◆再生族と一生族
 四住期は、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャという上位三つのヴァルナの男性にのみ適用される。シュードラと女性には適用されない。
 上位の三ヴァルナは、再生族(ドヴィジャ)と呼ばれる。再生といっても、輪廻転生における生まれ変わりの意味ではない。三ヴァルナの子供は母胎から誕生した後、10歳前後になると、入門式(ウパナヤナ)の儀式に参加して、バラモンの師(グル)に弟子入りし、ヴェーダを学ぶべきものとされている。この通過儀礼を通じて第二の誕生を体験するというのが、再生族の再生の意味である。
 シュードラは、ヴェーダの学習が許されず、入門式を受ける資格がない。そこで、一生族(いっせいぞく、エーカジャ)と呼ばれる。一生とは、母胎から一度生まれるのみという意味である。一生族は、現世においてヴェーダを学ぶことができない。現世において良い行為に励めば、来世以降で再生族に生まれ変わり得るとされる。
 不可触賤民は、人間とは認められず、生活期法の対象外である。

◆受胎から入門式まで
 受胎から入門式までの期間は、四住期に入らない。この期間の子供は、一人前の人間と見なされない。

◆学生期
 学生期とは、入門式を受けた後、親元を離れて、特定のバラモンの師について、ヴェーダの学習を行う時期である。年齢は、10歳前後から20歳前後までである。
 学生期の青少年のうち、バラモンは祭官となるべく祭式や知識を学ぶ。クシャトリヤは戦士となるべく武芸を鍛錬したり、行政統治の実務を学ぶ。ヴァイシャは世襲の職業に関する技術や知識を学ぶ。

◆家住期
 家住期とは、結婚して子孫を作り、家業に務め、家族を養う時期である。年齢は、20歳前後から老齢までである。
 学生期に、師のもとでヴェーダの学習を終えた青年は、沐浴を受けて帰家式を行う。家に帰ると、早々に結婚し、家業を継ぎ、家長として家庭の祭儀を執り行うなど、宗教的・社会的な義務を果たさねばならない。
 四住期のなかで家住期は、最も重要な時期として位置付けられている。人生の最終目標は解脱だが、青年がいきなり家を出て解脱を目指すのではない。まず男性としての役割を担い、他の三つの住期の者たちや、生きとし生けるすべての生類の生命を支えなければならない。家住期を生きる男性が家族を支え、社会で労働することによって、社会と文化が成り立っているわけである。インド思想史学者クシティ・モーハン・セーンは、家住期は「社会構造全体に統一と結合を与えるもの」となっていると述べている。
 さて、家住期において、結婚式には重要な宗教的意義がある。これによって男子は、宗教的にも社会的にも家長の地位に就いたことを認められる。結婚後、家長は、実利(アルタ)、愛欲(カーマ)、法(ダルマ)を追求することを義務とする。
 実利(アルタ)は、現実の家庭生活・職業生活における物質的・経済的な利益を意味する。家長は、親から受け継いだ家業に励み、家業を繁盛させ、家族を扶養し、家族・一族の繁栄を図り、同時に社会の発展に寄与しなければならない。
 性愛(カーマ)は、本能的な愛欲のよって子孫の繁栄を願う夫婦の愛の営みを意味する。家長は、先祖の祭儀を絶やさないように、妻と愛し合い、直系の男子をもうることに励まねばならない。こうした目的のために、性愛のあり方を教える経典として、『カーマ・スートラ』がある。
 法(ダルマ)は、宇宙の根本理法、その理法に沿った生き方、その生き方における行為の規範や義務等を幅広く意味する。家長は、こうしたダルマを日常の生活を通じて探究しなければならない。
 アルタ、カーマ、ダルマの三つは、どれも重要であり、同時に目指されるべきものである。家長は、日々、家庭における祭儀を執り行いながら、これらを追求する。

◆林住期
 林住期とは、家住期を終えた者が解脱に向けた生活を送る時期である。家住期の義務を果たし、老齢を迎えた家長は、家督を息子に譲り、妻を伴うかまたは息子に託し、家を出て、人里離れた荒野や森に住み、瞑想と祈りの生活を送る。
 
◆遊行期
 遊行期は、解脱を目指す人生の最終段階である。林住期の生活を終えた者は、独り欲望や執着を捨て、身に布一枚をまとい、鉢と杖と水壺だけを携えて遍歴修行する。
 出家や禁欲生活は、アーリヤ人の侵入以前から行われていたインド土着のものである。ヒンドゥー教では、林住期・遊行期を人生の完成と魂の解放、神との合一を目指す段階とする。ただし、解脱は、誰にでも達成できるものではない。一生難行苦行に徹した者であっても、解脱に到達し得る者は、稀である。まして人生の大半を現実社会で送った者が、老齢になってからの限られた修行で、容易に成し得るものではない。ほとんどの者は自ら積んだ業(カルマン)の結果、解脱できずに人生を終えると考えられる。インドから、死後硬直なく、体温冷めず、死臭・死斑のない大安楽往生の報告は、ほんどないからである。理想と実際には、大きな差があると認識すべきである。

 次回に続く。

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