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2019年11月19日09:35

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インド24〜ジャーティとカースト制

◆ジャーティ
 ジャーティは、世襲的な職能集団である。ある集団に生まれた者はその集団特有の職業に就くものとされ、それ以外の職業に就くことはできない。例外は農業で、農業はすべてのジャーティに開放されている。
 ジャーティは、内婚集団である。内婚とは、族内婚ともいい、特定の集団の内部に通婚関係を限定する婚姻制度である。カースト制では、男女とも同一のジャーティの者と結婚する義務がある。ただし、上位のジャーティの男性と下位の女性が結婚する場合は許容される。
 ジャーティは、浄・不浄の観念に基づいて、穢れの度合いが判断される。そのため、他のジャーティと水や食物を交換したり、飲食を共にすることが、厳しく制限されている。下位のジャーティに所属する者が調理したものを食べることは、穢れを受けるとして忌避される。
 それぞれのジャーティは、自治的機能を持つ共同体である。共同体として、長老会議や成員による集会等で意思決定をする。成員の生活を援助したり、寡婦や孤児の面倒を見るなどの相互扶助を行う。成員は先祖以来の職業に就いていれば、最低限の生活保障を受けられる。
 それぞれのジャーティには、職業、婚姻、食事に関する規範がある。それに違反する者に対しては、長老会議等によって、制裁が加えられる。重大な違反をした者は、ジャーティから追放される。追放は、共同体における権利や保護を失うことであり、個人にとって死活問題となる。一時追放の場合は復帰の手段があるが、永久追放の場合は家族からも見放され、他のジャーティからも受け入れられない。こうした厳しい規律は、カースト制において、ジャーティ内の結束と地域社会における地位を保持していくために必要とされている。

◆カースト制の吸収力と包容力
 カースト制は支配と差別の制度だが、その一方では、多民族・多言語・多文化の社会において、各集団の信仰や生活様式を侵害することなく、異なるものを共存させる機能を発揮してもいるとも見られる。また、そこには寛容の精神と不干渉の態度が顕著である。支配と差別の制度でありながら、多様なものを呑み込む吸収力と、またそれらを混在させる包容力が、カースト制にはあるという評価もある。
 カースト制のこの特徴は、ヒンドゥー教が多神教であり、また根本に一元論的な世界観を持っていることによる。カースト制の強大な吸収力と包容力は、一元論的多神教ならではのものと考えられる。ヴェーダやバラモンの権威を否定したジャイナ教は、カースト制に対しても異を唱えた。だが、ジャイナ教の集団は、一個のカースト的集団すなわちジャーティと化し、ヒンドゥー教の社会に組み込まれている。西洋からインドに伝来したキリスト教も同様である。キリスト教徒の集団が南インドのケーフラ州などでは、一つのジャーティを形成して、社会生活を送っているという。類似のことは、スィク教にも見られる。パンジャーブ、ハリヤーナー、デリーにおけるスィク教徒の集団もジャーティ化していると伝えられる。
 山下博司は、これらの事実を踏まえ、「インドで興った宗教かどうかを問わず、その集団が広い地域で無視できない人口規模と経済力を有するようになると、本来ヒンドゥー教徒とは宗教的に区別された集団であったものでも、社会集団としてカースト化してくるのである。彼らは内婚集団を形成しており、その意味でもカーストと同じ内実と機能を有している」(『ヒンドゥー教〜インドという謎』)と述べている。ここで山下のいうカーストは、ジャーティこのことである。
 なお、ヒンドゥー教と全く異なる社会秩序の原理を持つイスラーム教徒は、インドの人口の14.2%を占める巨大集団である。ヒンドゥー教がそのイスラーム教徒の集団をもカースト化して包含していると言えるかどうかは、見方の分かれるところだろう。

 次回に続く。

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