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2018年11月14日09:32

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文化革命型の「白い共産主義」の脅威2

●「白い共産主義」の系譜

 ロシア革命後、ドイツ・ハンガリー等で革命運動は、すべて鎮圧された。労働者の大半は立ち上がらなかったのである。ヨーロッパの共産主義者は、労働者が蜂起しなかったのは、キリスト教の考え方が染み付き、真の「階級利益」に気づいていないからだ、と考えた。そして、キリスト教とそれに基づく文化を破壊しない限り、共産主義は浸透しないと考えた。
キリスト教は、一夫一妻制である。ハンガリーのルカーチは、これを破壊するため、過激な性教育制度を実施した。ハンガリーの子供たちは学校で、自由恋愛思想、セックスの仕方を教わり、一夫一妻制は古臭く、宗教の理念は浅はかだと教えられた。女性も性道徳に反抗するよう呼びかけられた。
 1960年代の後半、ルカーチの思想は、アメリカで若者たちに熱烈に受け容れられた。アメリカで小学校から性教育を行うようになったのは、ルカーチの影響である。
 イタリアのグラムシは、西洋の共産化には、まずキリスト教を除くことが必要だと考えた。まず文化を変えよ、そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる、と主張した。芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、ラジオ等を、一つ一つ攻め落とし革命に組み込んでゆくことが肝要だ。そうすれば人々は徐々に革命を理解し、歓迎しさえするようになる、と説いた。こうしたグラムシの思想は、西欧諸国のユーロコミュニズムや、アメリカのカウンターカルチャー運動に影響を与えた。
 ドイツのフランクフルト学派は、キリスト教、家族、道徳、愛国心等を徹底的に批判した。彼らはユダヤ人が多く、ナチスの迫害を逃れて米国に亡命し、戦略情報局(OSS)で大衆操作の研究に参加した。彼らの最左派だったのが、マルクーゼである。「来るべき文化革命でプロレタリアートの役を演じるのは誰か」――マルクーゼが候補に挙げたのは、若者の過激派、黒人運動家、フェミニスト、同性愛者、社会的孤立者、第三世界の革命家などだった。労働者階級に代わって西洋文化を破壊するのは彼らだというのである。
 マルクーゼの思想にはまったアメリカの学生たちは、ベトナム戦争の反戦運動を行いながら、キリスト教の価値観や道徳に反抗し、セックスとドラッグに興じた。この「性革命」「ドラッグ革命」に続いて、黒人の公民権運動が高揚した。黒人が公民権を求めるのを見て、白人の女性たちも権利の拡大を要求し、ウーマン・リブの女性解放運動が起こった。
 この動向は、アメリカから西欧・日本に伝播した。マルクーゼの影響を象徴的に表わすことがある。昭和43年(1968年)、フランスのパリで5月革命が起った。この時に活動した学生・知識労働者の運動は、三M革命といわれる。三Mとは、「マルクス・マオ(毛沢東)・マルクーゼ」である。マルクス、毛沢東と並ぶほど、マルクーゼが強い影響を与えていたのである。
 こうした文化革命型の「白い共産主義」が、1960年代後半以降、ヨーロッパ・アメリカからわが国に入って日本人を深く蝕んでいる。

 次回に続く。

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