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2019年02月16日08:59

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びわ湖疏水船 2019年運航スケジュール決定 春シーズン分の乗船予約販売受付中 #内航船の日

画像はびわ湖疏水船の公式ホームページ http://www.biwako-sosui.jp/ よりダウンロードしたパンフレットのスクリーンショット。



京都市下京区河原町通松原上ル2丁目富永町338のい京阪四条河原町ビル7階JTB京都支店内にあるびわ湖疏水船受付事務局は、昨日2019年2月15日(金)から、2019年3月28日(木)〜6月30日(日)乗船分の予約を、↓の画像の要領で開始しました。

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琵琶湖の水を京都へ引くことは、昔から京都の人々の願いでした。しかし、土地を正確にはかって図面を作成したり、長いトンネルを掘るには充分な技術がありませんでした。そんな中、琵琶湖から水を引く計画を実現させたのは、第三代京都府知事に就任した北垣国道です。北垣は幕末の戦災と明治維新による東京遷都により衰退した京都を復興させるため、今なお現役で活躍する「琵琶湖疏水」の建設を計画しました。

第1疏水建設の目的は当初、製造機械、運輸、田畑の灌漑、精米水車、防火、上水、下水の7つが挙げられていましたが、土木技術者の田邉朔郎がアメリカに水力利用法を視察に行った際に見た、水力発電が新たに加えられました。第1疏水は明治23(1890)年に完成しました。完成後の第1疏水の利用方法は大きく分けて3つありました。

1電気事業

蹴上発電所が日本で最初の事業用水力発電所として建設されました。琵琶湖の水を使って電気を起こし、電灯をともしたり機械を動かす動力に利用されました。

2運河事業

運河を開さくし、大津や伏見、大阪との間で米・炭・木材・石材などが船で運搬されました。また、観光客を乗せた遊覧船も多く出帆しました。高低差がある蹴上と伏見墨染にはインクラインが設置され、台車に船を行き来させました。

3水力事業

京都御所や東本願寺では防火用に疏水が利用され、別荘や公園に引水して池や小川が作られたりしました。また、精米や紡績、伸銅などにも利用されました。

第1疏水の建設で最も困難を極めたのが、当時日本最長のトンネルであった第1トンネル(2436m)の工事でした。今なお、工事のために造られた第一竪坑(47m)と第二竪坑(20m)が現存しています。また、通船のルートの道中には、4つのトンネルがあり、諸羽トンネルを除く3つのトンネルの洞門には、「扁額(へんがく)」と呼ばれる石の額が掲げられています。いずれも明治を代表する政治家らが揮毫(きごう)した歴史的に大変貴重なものです。

明治30年代に入ると、第1疏水の流量では毎年増大する電力の需要が満たせなくなり、また、地下水にたよっていた市民の飲料水が質・量ともに問題となってきました。そのため第2代京都市長西郷菊次郎は、三大事業(第2疏水の建設・上水道の建設・道路拡築及び電気軌道の敷設)を実施し、第2疏水はその事業の中核として明治41(1908)年に着工し、明治45(1912)年に完成しました。

第2疏水の開さくに伴い、流量が増加したため、第2期蹴上・夷川・墨染の3つの発電所も新設し発電量が増加しました。この電気によって新しく広げられた幹線道路に市電を走らせ、市内に電灯が灯されました。明治45(1912)年には、第2疏水から取水する蹴上浄水場が完成し、京都市の水道事業が誕生しました。

豊かな水の流れは、人々の暮らしを多彩に潤してきました。舟運、水車動力、田畑かんがい、防火用水など当初からの役割はもちろん、豊富な水は多様な用途と、新たな価値を生みました。そのひとつが庭園への引水。山県有朋の別荘無鄰菴を皮切りに、南禅寺周辺には清流亭、碧雲荘などの広大な別荘ができ、疏水の水が流れる回遊式庭園がつくられました。平安神宮、円山公園、現在の京都国立博物館の庭園にも疏水の水が引かれています。また水泳場や舟溜を活用した遊泳場も随所にできました。中でも夷川舟溜は京都踏水会水泳学園に活用され、75年間でのべ50万人以上が講習を受講。京都踏水会はオリンピック選手も輩出し、現在も活動を続けています。

琵琶湖疏水は人工の水路ですが、四季折々の風情を醸し出す景観などは、時の流れとともに、市民の憩いの場としての役割を担うようになってきました。昭和47年には疏水分線の若王子付近が「哲学の道」として整備され、現在では桜の名所として全国的に知れれるようになりました。平成8(1996)年には琵琶湖疏水関連施設12箇所が国の史跡に指定され、平成19(2007)年には琵琶湖疏水・琵琶湖疏水記念館所蔵物・南禅寺水路閣・蹴上インクライン・蹴上浄水場・蹴上発電所が経済産業省により近代化産業遺産として認定されました。琵琶湖疏水とその関連施設は、「京都における近代化の歩みを物語る」遺産として評価されています。



明治23年(1890年)の開削後、琵琶湖疏水における舟運(通船)の利用が開始され、旅客船のピークである 明治28年(1895年)には年間30万人、運搬船のピークである大正14年(1925年)には年間22万トンもの資材が 行き交うなど、数十年にわたって旅客・貨物とも大いに利用されました。しかしながら、自動車や鉄道等の急速な発達に伴い、舟運は、徐々にその数を減らし、昭和26年(1951年)9月に大津から山科まで4.5トンの砂を輸送したのを最後にその姿を消しました。

以来、琵琶湖疏水における舟運の復活を望む声は幾度となく挙がったものの、長きにわたってその実現には至りませんでした。

そうした中、平成25年(2013年)12月に京都市長及び大津市長の参加による船下り試乗会を行ったことを契機に、市民生活や産業・文化を支えてきた琵琶湖疏水建設の意義を多くの皆さまに改めて認識いただくとともに、新たな観光資源として京都、大津の疏水沿線だけでなく広域的な地域の活性化に寄与することを目的として、民間企業や、京都・大津両市の観光協会、商工会議所、そして両市の行政が知恵を出し合う形で「琵琶湖疏水船下り実行委員会」が平成26年(2014年)12月に立ち上がり、琵琶湖疏水における通船の本格的な復活に向けた検討を開始しました。

琵琶湖疏水における通船の復活には、その一般の河川と異なる特殊な成り立ちや形状から、多くの課題がありました。  水深が約1mと浅いこと、断面がすり鉢状で底部の幅が狭いこと、流れが速いことや、諸羽トンネルの竣工に伴う疏水路の変更により急なカーブとなる箇所があることなど、中型・大型の船舶の運航に適さず、また小型船であっても、疏水路上の操船には非常に高度な運航技術が必要となります。さらに、船の旋回や離合についても、船溜(ふなだまり)などの限定的な場所でしか行うことが出来ないという制約があります。

船の運航に当たっては、事前に十分な訓練を重ね、監督官庁の指導を得ながら細部にわたって安全性向上に向けた検証を行ってきたことで、安全に乗船いただける環境を整えてきました。

そして、数年にわたる準備期間を経て、実行委員会では、平成27年(2015年)春に滋賀県大津市から京都市・蹴上までの約7.8kmの区間において、のべ16日間の「琵琶湖疏水通船復活」試行事業を実施し、64年振りに琵琶湖疏水における舟運を復活させることができました。

その後も継続して春と秋に試行事業を実施し、専属ガイドの育成や疏水通船を組み込んだパッケージツアーの企画、疏水路の流れに逆らい蹴上から大津に向かう「上り便」の実施など、本格事業化に向けたステップアップを図ってきました。平成29年(2017年)秋、琵琶湖疏水沿線魅力創造協議会が新たに発足、平成30年(2018年)春からは、本格的な運航がスタートしました。



さて、京都市左京区南禅寺草川町17にある琵琶湖疏水記念館(びわこそすいきねんかん)は、1989(平成元)年8月に、蹴上インクラインのほとりの地に開館しました。

館には全長5メートルの克明な墨書である京都-大津間の通水路目論見実測図や難工事を描いた絵画、建設関係文書などを展示しています。

蹴上インクラインの模型もあり、琵琶湖疏水の歴史が分かります。



琵琶湖疏水記念館の、

開館時間
 3〜11月
  9:00〜16:30受付終了17:00閉館
 12〜2月
  9:00〜16:00受付終了16:30閉館
休館日
 月曜日(祝日開館翌平日休館)
 12月28日〜1月3日
入館無料

琵琶湖疏水記念館へは、

地下鉄「東山(ひがしやま)」駅1番出口〜北へ550m徒歩約7分。

市バス京都岡崎ループ「南禅寺・疏水記念館・動物園東門前(なんぜんじ・そすいきねんかんまえ・どうぶつえん ひがしもんまえ)」停留所〜すぐ。

市バス5「岡崎法勝寺町(おかざきほっしょうじちょう)」停留所〜東へ、白川通を南へ、350m徒歩約4分。

駐車場は無いので自家用車の方はパーク&ライド http://www2.city.kyoto.lg.jp/tokei/trafficpolicy/kankochi/index.html でお越しください。

パーク&ライドとは、自家用車を混雑する市街地や観光地に直接乗り付けず、高速道路出口付近などの離れたところに駐車して公共交通に乗り換える、移動の度に車という大荷物を運ばなくて済む賢くて快適な方法です。



びわ湖疏水船【公式】→http://www.biwako-sosui.jp/
琵琶湖疏水記念館→https://biwakososui-museum.jp/
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