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2020年03月30日22:55

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ビザンティン神学―歴史的傾向と教理的主題 ジョン・メイエンドルフ 新教出版社 2009年4月

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p.242
 (b)キリストの人間的な本性は、個別の人間的ヒュポスタシスへと位格化されない。この意味は、ヒュポスタシス概念は、人間においてであれ神においてであれ、本性的な表現ではなく、「位格的」存在を指している、ということである。カルケドン以後のキリスト論は、キリストは完全に人間であったし、また人間として「個人」であったと見なすが、キリストが人間的なヒュポスタシス、あるいは位格であったとするネストリオス的見解を拒否する。完全に人間的で個人的な生命が、その人間的な特徴のいずれをも失わないで、ロゴスのヒュポスタシスの中にエン・ヒュポスタシスされた(内ヒュポスタシス化された)のである。ラオディキアのアポリナリオスの名前と関連し、それによれば、ロゴスはイエスにおいて人間の霊魂の場所を受け取っていた、という理論は、ビザンティン神学者たちによって一貫して拒否された。なぜなら、それでは、キリストの人間性は完全でなかったことを意味してしまったからである。キュリロスの著名な定式――誤ってアタナシオスのものとされたが、実際はアポリナリオスがそう語っていた――「ロゴスなる神の受肉した一つの本性」は、カルケドンの文脈の中でだけ受け入れられた。神的な本性と人間的な本性は、混合することも、混同されることも、相互に補完的になることも決してありえず、キリストにおいて、ロゴスの単一で神的なヒュポスタシスの中で結び付いていた。…
 ヒュポスタシスという観念は、「個別な本性」の諸概念や「個人性」という観念に還元できないという事実は、キリスト論だけでなく、三一論神学においても、決定的に重要である。ヒュポスタシスは、本性的な生命の位格的で「活動的な」「源泉」である。しかし、それは「本性」ではないし、生命そのものでもない。ヒュポスタシスにおいて、キリストの二つの本性が混同のない統一を達成する。二つの本性はその本性的特徴を保持する。しかし、二つの本性は共通のヒュポスタシスとしての生命を共有するので、「属性の交流」あるいは「ペリコーレーシス」がある。
p.243
それは、例えば、キリストの人間的な行為のあるもの――言葉や仕草――が、神だけが引き起こすことのできた結果を持つことを可能にする。…

 ヒュポスタシス的統一は、ロゴスが人間性をその全体性において「自分自身のもの」としたことも意味している。そこで、三位一体の第二位格は、実際に、イエスの「人間的」経験の主体、あるいは、行為者だったのである。処女マリアに適用された用語「テオトコス」をめぐってアレクサンドリアのキュリロスとネストリオスが行った論争は、本質的に言って、まさにこの問題に関わっていた。イエスには、その母がマリアでありえた人間としての個人があったのであろうか。キュリロスの回答――明確な否定――は、実際に非常に重要な意味を持ったキリスト論的選択であった。キリストには、ただ一人の子、すなわち神の子だけが存在したのであって、マリアはそれ以外の誰の母でもありえなかったのである。したがって、マリアは実際に「神の母」であった。キリストの死との関連でも、全く同じ問題が生じた。不受苦性と不死性とは事実、神的な本性の特徴であった。それなら、いかにして神の子が「死ぬ」ことがありえたのか、とアンティオキアの神学者たちは尋ねた。明らかに、キリストの死の「主体」はその人間性だったのである。この見解に反対し、キュリロスに従って、第五回公会議(五五三年)は、「肉において十字架につけられたわれわれの主イエス・キリストが、真の神、栄光の主、聖なる三位一体の一者であることを告白しない者は、断罪される」(8)と断定する。
p.244
 「神性受苦論的定式」――「神の子が肉において死んだ」ことを肯定する定式の受容――は、「ヒュポスタシス」の概念と、「本性」や「本質」の概念が実際にはどれほど違っているかを例証している。この違いは、ユスティニアヌスの時代の主要なカルケドン派神学者の一人であるエルサレムのレオンティオスによって強調されている。「ロゴスは、ヒュポスタシスに従って、苦難を受けたと言われる。なぜなら、ロゴスのヒュポスタシスの内部に、ご自身の不受苦な本質と並んで、彼は受苦の(人間的)本質を担われたからであり、(人間的)本質に関して主張されうることは、ヒュポスタシスに関しても主張しうるからである」(9)とレオンティオスは書いている。このことが意味しているのは、(不受苦性、不変性など)神的な本質の特徴は、神の「位格的」あるいはヒュポスタシス的存在には、絶対的に拘束的であるわけではない、ということである。…他方、救済論の水準では、神の子が実際に肉において死んだという断定は、他のどのようなキリスト論的定式よりも一層適切に、人間に対する限界のない神の愛、堕落した死すべき人間性をロゴスが「担ったこと」の現実性、すなわち、救いの秘義そのものを、反映している。
p.245
マルセル・リシャールは、「アレクサンドリア・キリスト論では、人間的な霊魂が御言葉によって担われたことが明白に認識されているとしても、キリストの真の心理や、救い主の人間性の真の祭儀が存在しうる場はどこにもない」(18)と書いている。またシャルル・メラーも次のように主張する。(典礼の中で顕著な傾向である)「キリストをますます神として見ようとする東方の傾向は、分離の後に強化されることになるある種の排他主義を暴露している」(11)。ビザンティン人たちのこの「親カルケドン主義」は、このように、真のカルケドン・キリスト論に対立させられており、隠れ単性論のレッテルを張られている。それは本質的には、イエスの人間的属性を彼がもはや完全には人間ではなくなってしまうほどに変えてしまう、ヒュポスタシスの統一に対する理解から成っているというのである(12)。
p.246
この主題に関するビザンティン思想は、しばしば、「本質的な知識」が堕落以前の人間性の特徴であるというエウアグリオスの思想によって混乱させられてきた。エウアグリオスは、イエスはこの本来的な「知識」を保った、創造された「知性」であるとも考えた。キリスト教東方に生き続けたエウアグリオス的な霊性の伝統の中では、「覚知」への探求が、事実、霊的な生活の内容そのものであると考えられた。このことが、ビザンティンの著作家の大部分がイエス自身の「無知」を否定している、という事実に寄与したのかもしれない。例えば、ダマスコのヨアンネスは次のように書くことができる。

 御言葉は「無知で従属的な本性」を担ったことを知らねばならない。(しかし)ヒュポスタシスの同一性と解消できない統一のために、主の霊魂は、来るべき事柄や他の神的なしるしの知識に富んでおられたのである。同様に、人間の肉は本性によっては生命を与えるものではないが、主の肉は、「本性によっては死すべきものであるのをやめないで」、御言葉とのヒュポスタシスの統一のために、命を与えるものとなったのである。(13)

 この本文は確かに、ヒュポスタシスの統一は――「属性の交流」によって――人間的な本性を変えると主張する代表的なビザンティン著作家の明確な立場を代表している。しかし、この変化は、力動的で救済論的なキリスト論の枠内で見られていることは明白である。キリストの人間性は、そこにおいて人間が死から生命へと、無知から知識へと、罪から義へと、「過ぎ越していく」という意味で、「過越の」人間性である。しかし、もっと正当化しえない多数の事例では、福音書の本文に書かれているようなイエスの無知は、単純に教育的な手段として、あるいは、「へりくだり」を示すためのキリストの河での「外観」と解釈されている。
p.247
この明らかに不十分な解決は、キリストの、本物の人間的な無知を肯定する著作家たちによって拒否される。…明らかなことであるが、ビザンティン神学者たちは、キリストの中に「われわれの堕落した本性」を認識することに真の関心を抱いていた。…
…人間は(本性的に無知であるように)「本性的に」滅びるものなのであろうか、それとも、滅亡性は罪とともにやって来たのであろうか。「キリスト受難不可能論」は、人間が本性からして滅びるものであることを否定した。キリストは新しいアダムであり、真に「本性的な」人間なので、キリストの人間性は実際に不滅であった。キリスト受難不可能論を拒否して、正統派は(一)アダムから死すべき性質を受け継いだことは、罪過の受け継ぎではないこと、(二)ロゴスは自ら進んで、抽象的な理想的人間性ではなく、滅亡性を含め、罪のあらゆる結果を伴ったわれわれの堕落した人間性を担ったことを、肯定した。
p.248
キリスト受難不可能論に対する反対派、確かに、キリストの真実で完全な人間的本性について一層明確な観念を保つのに寄与したのである。
p.249
ロゴスの神的な本性は隠されたままであったが、肉におけるロゴスのヒュポスタシスは肉体の目で見ることができた。…
…単性論に対する更に別な教理的立場が必要だったとしたら、それが、八世紀と九世紀にビザンティン教会がとった立場であった。しかし、この立場は、ヒュポスタシスの統一の教理を犠牲にしたものでも、受肉したロゴスのヒュポスタシスの同一性に関するキュリロス的理解を犠牲にしたものでもなく、かつてのキリスト論的諸定式に照らして取られた立場であったことを認識するのが重要である。聖画像破壊主義に対する勝利は、カルケドン・キリスト論とカルケドン後のキリスト論の再肯定だったのである。
p.250
 カルケドンの定義は、キリストはその父とだけでなく、「われわれ」とも同一本質であると宣言した。キリストは完全に人間であるが、人間的なヒュポスタシスは持たない。なぜなら、キリストの二つの本性のヒュポスタシスは、ロゴスの神的なヒュポスタシスだからである。一人ひとりの個人は、他の仲間の人間と完全に「同一本質」であるが、それにもかかわらず、その独自な・繰り返しえない・同化されえない個人性、すなわち、ヒュポスタシスにおいて、他の人間とは根源的に「違っている」。誰も、別な人間の中に完全にいることはできないのである。しかし、イエスのヒュポスタシスは、すべての人間の個人性と根本的な類似性がある。すなわち、その「原形」である。なぜなら、すべての人間は実際に、神の像に従って、すなわち、ロゴスの像に従って、創造されるからである。ロゴスが受肉した時、神的な刻印はすべての痕跡に適合した。神は、人間のヒュポスタシスの誰をも排除しないで、神における人間の統一を回復する可能性を彼らすべてに開くような仕方で、人間性を担ったのである。彼は実際に「新しいアダム」となり、すべての人は、彼の中に自分自身の本性が完全にまた完璧に実現したのを見る。そこには、もしイエスが人間の一個人にしか過ぎなかったとしたら避けることができなかったであろう限界はない。
p.251
すなわち、救いとしての、ロゴスの受肉である」(23)。
…ロゴスが人間の死すべき性質を自ら担ったのは、神の「へりくだり」の行為であって、それによって、神は自分自身を人間性全体と結び付けたのである。なぜなら、ナジアンゾスのグレゴリオスが書いたように、「担われないものは癒されないし、神に結び付けられているものは、救われる」(24)からであり、したがって、「われわれが再び生きることができるためには、肉とされ、殺された神をわれわれは必要とした」(25)からである。
 「三位一体の一者の、肉における」死は、自ら進んで行った行為であり、人間の悲劇の全次元を神が自ら進んで担ったことであった。…しかし、(そして、これが正統派と「キリスト受難不可能論者」の本質的な相違であるが)ロゴスのヒュポスタシスのこの「神的な」自由は、ロゴスの人間としての状態の現実性を制限しなかった。主は、受肉のまさにその瞬間に「死すべき」人間性を担ったのであって、その時に、死ぬという自由で神的な決定がすでに行われたのである。
p.257
人間イエスはヒュポスタシスに即して神であり、したがって、彼の中には、神的な「活動」と人間的な「活動」の「交流」(ペリコーレーシスcircumincessio)がある。
p.258
人間が神化されることができるのは、自分自身の働きや「活動」によるのではなく――それではペラギウス主義となるであろう――人間の活動がそれに服す神的な「活動」によってである。この二つの間には「共働」があり、それに関しては、キリストにおける二つの活動の関係がその存在論的基礎である。
p.259
神は人間となることによって、われわれの救い主となった。しかし、この神の「人間化」は、マリアによって生じた。このように、マリアは彼女の息子の人格とわざから不可分である。イエスの中には人間としてのヒュポスタシスはないのだから、また、母は何かの母ではなく、「誰か」の母でありえるだけなので、マリアは実際に、受肉したロゴスの母、「神の母」なのである。
p.270
新しい人間性は受肉したこのヒュポスタシスの中で実現されるが、それは御霊の賜物だけを受け取る。御霊の位格とその賜物との区別は、一三世紀と一四世紀の神学論争との関連でビザンティン神学の中では大きな強調を受けることになる。キュプロスのグレゴリオスとグレゴリオス・パラマスとは、それぞれ別な文脈の中であったが、ペンテコステに使徒たちは御霊の永遠の賜物、あるいは「活動」を受けたが、御霊と人間性との間の新たなヒュポスタシス的統一はなかった、と力説することになる(19)。
p.271
また、もし神自身が三一的な「コイノニア」でなく、三つの位格でなかったとしたら、教会は、それぞれの個人性に還元できない、人々の結び付きであることは決してなかったであろう。神的な生命への参与は、新プラトン的あるいは仏教的な非人格的「一者」への統合に過ぎなくなってしまうであろう。
p.284
アウグスティヌス以後の西方とラテン・スコラ主義の中で支配的であった概念とは反対に、ギリシャ神学はヒュポスタシス的存立の「起源」を、共通の本質にではなく、父のヒュポスタシスに帰している。父は、子と聖霊にある神的な本性の「原因」(アイティア)であり、「原理」(アルケー)である。それ以上に顕著なのは、カパドキア教父たちを「三神論」と非難した者たちに反対して、カパドキア教父たちが一貫して父のこの「単独主義」を使ったという事実である。
p.285
「三者は、一緒に考察される時には、一人の神(である)。(三者は)同一本質なので、それぞれが神(である)。三者は、(父の)単独主権のゆえに、一人の神(である)」(18)。…「それぞれの」人間は自分自身を再現化する能力を持っているが、神においては、「その方から御子が誕生し、御霊が発出する父の同一の位格」があるだけである(19)。このように、人類は絶えざる断片化の中にあって、キリストにおいて父によって「養子とされる」ことを通してだけ、すなわち、断片化も多数化もしないで生じさせる単一のヒュポスタシスの子供となることによってだけ、その統一を回復することができる。
p.302
時には実際に、浸礼はこのサクラメントの有効性にとって本質的に重要であると考えられたし、極端な反ラテン的論争家の中には、西方の洗礼が滴礼によって執行されることを根拠にして、その有効性を疑問視した者たちもあった。
p.316
その論文『エウセビオスとエピファニオス反駁』の中で、ニケフォロスは、人間はユーカリストにおいて神の「本質」を観想し、それに参与するというオリゲネス的な思想を特に強調して断罪する(14)。後のビザンティン神学者たちにとってと同様に、彼にとっては、ユーカリストは、変容され・生命を与え・ロゴスに内ヒュポスタシス化され・神的な「活動」に浸透され・それでいて依然として人間としての・キリストである。特徴的なことであったが、ユーカリストの文脈の中では、ビザンティン神学者が「本質」(ウシア)というカテゴリーを使うのを見ることは、決してない。彼らは「実体変化」(メトゥーシオーシス)という用語はユーカリストの秘義を指すには不適切である、と考えた。彼らは一般的には、ヨアンネス・クリュソストモスの典文の中にある「メタボロス」(変態)という概念や、「超・物素化」(メタストイケイオーシス)とか「再・配列」(メタリュトミシス)のような力動的な用語を使う。



■コンスタンティノープルを征服したスルタン・メフメト2世が造ったイスタンブール初のハマム「アー・ハマム」とは?
(GOTRIP! - 01月07日 09:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=206&from=diary&id=5927063

寒い季節、トルコで試してみたくなることといえば、ハマムは外せません。

ハマムとは、伝統的な公衆浴場のことで、トルコやその他の中東、アラブ諸国で長い歴史の中で発展してきました。「清浄は信仰の半分」というイスラムの教えにあるように、身体をきれいにするハマムは宗教においても重要な性格を持っているため、モスクや神学校などを含む複合施設の一部として造られることが多かったのです。

歴史の中で、ハマムはモスクを訪れるように一般の市民が日常的に訪れることができる公共の場、社交の場としても機能していた一方で、オスマン帝国時代にはスルタン、そしてその息子たちだけが利用する目的で造られた完全にプライベートなハマムもあったのです。

現在のトルコ、イスタンブールにおける、オスマン帝国時代のスルタンによって造られた最も古いハマムが、新市街のベイオールにあるアー・ハマムです。



アー・ハマムは、コンスタンティノープルを攻略したオスマン帝国第7代スルタン、メフメト2世によって1454年に建設されました。これがイスタンブールに最初に誕生したハマムなのです。

1844年、オスマン帝国第31代スルタン、アブデュルメジトのときに大規模な改修工事がされ、帝国が終焉を迎える最後の年まで、スルタンとその息子たちだけが利用できる完全にプライベートなハマムとして機能していました。



1923年にトルコ共和国が誕生すると、あるアルメニア人の女性がアー・ハマムを買い取りました。そして彼女がそのハマムを初めて一般に公開したのです。その後ハマムは、ヒュセイン・ユルマズ、ヒュセインの甥にあたるアリ・ユルマズに売り渡されて後が継がれていきました。1986年にアリによって最後の改修工事がなされ、その後はイスタンブールにおける唯一の混浴のハマムとして営業しており、現在に至ります。

アー・ハマムでは、3つのコースの中から好きなものを選んでサービスを受けることができます。最もポピュラーなコースは、ハマム入浴料と垢すり、泡のマッサージの3つがセットになっているものです。このコースを元に、20分のオイルマッサージやフェイスパックをお好みで追加することも可能です。

ムンムンと蒸気が立ち込める、大理石の浴室は混浴ではあるものの、着替えのための個室や垢すりをしてもらうための部屋は男女別になっているので女性も安心して利用できます。





イスタンブールで最初に生まれたハマム、さらにイスタンブールで唯一混浴のハマムは、このアー・ハマムならではの特色です。改装こそされているものの、オスマン帝国時代を思わせる低いテーブルやソファや、ハマム独特の心地よい湿度と石鹸の香り、浴場内でぽたぽたと滴る水の音を、五感で体感してみてください。

きっとほかのハマムでは感じることのできない、スルタンたちだけが使用していたという独特な歴史の重み感じることができるはずです。

Post: GoTrip! https://gotrip.jp/ 旅に行きたくなるメディア

名前 アー・ハマム(Ağa Hamamı)
所在地 Kuloglu Mh., Turnacibasi Cd. No:48 Aga Hamami, 34433 , Taksim / istanbul, Turkey
電話 +90-212-249-5027
アクセス アー・ハマムは、新市街のタクシム広場から400メートル、イスティクラル通りを歩けば10分弱でアクセスすることができます


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