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2019年12月05日23:49

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ゾロアスター教論集 義教, 伊藤 平河出版社

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20191205
p.147
中に立つ第3信は10月12日発のもので、「福路庭」に関する愚見を述べ、拙著『ゾロアスター研究』中の「仏光とイラン要素」の項を再読することを勧めた外、さらに「福路」をfarrah/xwarrah「光耀、光輪」の写音とみる私の立場から、天武帝の神上がりされていく庭、光耀光輪の在所すなわち天宮(中期ペルシア語ではガロードマーンgarodmanという)が「福路庭」で、火と関連の深い帝であるから、そのようなfarrahと火との密接な関係を中期ペルシア語書『Bundahisn』の一節(本拙著p.151参照)を引いて明らかにしておいた。…このあとが私の前期の第5信となるが、面智男雲が遡れば古期イラン語人名「マンスラダフマ(Manθra-dahma-)」に帰着するのに現存の『アヴェスター』には伝存していないので、その理由について書き送るとともに、両歌の実作者にもふれ、実作者としては舎衛女か堕羅女(本拙著p.187参照)の外になく、一人にしぼるとすれば後者であることを述べた。
p.159
貴文はクンブ(xumb)「瓦」の対音、白加はパイカル(paykar)「像」のそれで、文も白も漢音によっていることがわかる。
p.162
トカラの治所はクンドゥズ(kunduz)。書紀は乾豆(カンドウ)と写音しており、アフガニンスタン北東部の都市である。
舎衛=中期ペルシア語/パルティア語シャーフ(saf)「王」の写音。
p.163
Darayは古代ペルシア帝国の大王名ダーラヤワフ(Darayavahu-)の転訛であるが、名辞学的にみても政権掌握者のみしか名乗っていない人名で、ここもそのとおり。…
 「達阿」という写音には二つの特色がある。一つはDarayの第2長音aを写音するために「阿」を添加していること(漢字には長音がない)、もう一つはDarayのdarを「達」で写音していることで、この方はサンスクリット語音dharを「達」で写音する(例えばシッダールタSiddhartha「悉達多」)のにならったものである。
p.165
 堕羅、達阿 Daray
 堕羅女 Daray-duxt(at)
 舎衛 sah「王」
 舎衛女 sah-duxt「王女」
 舎衛婦人 sah-banug「王妃」
 波斯 Parsig
 乾豆 Kunduz
 吐火羅(ほか) Tuxwarestan。

 人名としては、時代を遡ると、推古20年(612)に百済から渡来した路子工(ロシコウ)、またの名を芝耆麻呂(シキマロ)というものがある。私はこれをイラン系胡人とみるもので、それぞれRah-askar、Askar-amarの写音とみる。
p.166
Rah-askarは「(築)道(rah)に明るいもの」、Askar-amarは「計測(amar)に明るいもの」を意味し、職能と人名との区別もつきにくいような名である(語頭母音aは写音されない)。
p.167
この挿入句中にみえる2造営指揮者のうち、山東漢大費直(ヤマトノアヤノオオアタエ)麻高垢鬼は、大意においてはほぼ同様ながら、私は前考をやや補訂して、これをma kas koxsad「人(kas)は争う(koxsad)なかれ(ma)」の写音とみることにする。…私が早くから寺師、寺工の名とみてきた意等加斯(edon-kas「このように(edon)(図を)引く者」の写音。「等」を濁音によむことについては前出の「乾豆=Kunduz」の「豆」を参照。意等加斯はオトカシではない)が単なる費直であるのも、年齢の長幼もあったのであろうが、信仰の中心を成す塔の露盤(ここでは相輪全体のこと)を手掛けるか否かの相違も与っていたに違いない。…
 鏤盤師 将徳 ostad< awestad「師、職匠、マスター」。awestadは崩れてostadとなっていた;
 自昧淳 書紀の「白昧淳」をpay-mizne/pay-muzne(以下では煩をさけてmizneの形のみを出して論をすすめる)「露つきのもの」の意味から露盤(ここでは相輪のこと)を表す、ペルシア人ならではの造語とみたが、これはまさにそのとおりながら、その際私は自昧淳を白昧淳の誤記かと考えていた。…
寺師 丈羅未大 私は書紀の太良未太と照合し原形を太丈羅(または良)未大と復原した。そして今やこれをパルティア語tajar-amidの音写とみる(ペルシア語tazar-amidは措いて)。…
父賈古子 bunak-kosk テント型の堂宇。
p.169
瓦師 麻那父奴 man-nafumban「家(man)を葺く人」;
陽貴文 ayin-xumb(ayin<ewen<*adwenはペルシア語。パルティア語はabden/aβδen)「文様瓦;または丸瓦、鴟尾瓦など特殊な形の瓦」;xumbは「瓦(<陶片、陶容器)」(上説);
布忄夌貴 afrang-xumb「色瓦」。…語形の展開は前考に反して、方言差に基づくというよりも、むしろ語源差に基づくものと考えて、*abiranga->*abrang>aurangおよび*apiranga->afrangとみるべきであろう。…
昔麻帝弥 syaxman-toxm(パルティア語)「鐙瓦(<軒先の丸瓦、または、先端に円形部のある瓦)」;
畫工 陽古博士 ayinak-kar「像の制作者」;
白加(または百加) paykar<pahikar「像(仏菩薩などの)」; p.171 それは僧・士・農・工とでもいうべき4種の職能階級に分かれていたことで、最後に挙げた階級はhutuxsihといった。これは「よく(hu)努める(tuxs)者、工人、工匠、artisan」を抽象名詞にした(-ihを接尾して)形である。3人名のうちの最後の都鬼(トキ。ツキよりも)は中期ペルシア語tuxsad「(人は)努めよ」かtuxsag「努める者」かの略写音である。…私が人名「麻高垢鬼」(前出)を前考ma koxsagan(bad)「(人は)争うもの(となる)なかれ」から上述のようにma kas koxsadに改めたのは、この都鬼=tuxsadとする私の理解によるものである。  では残る2人名、未沙乃(ミサナイ、ミシャナイ)と加羅爾(カラジ)であるが、前者は中期ペルシア語meh-snas「大いに(メフ)識っている者、大知者」、後者は同karaz=kara-az「人々(カーラ)を(作業に)駆りたてる者、督励者」の写音で、どちらも彼らが受けもった役割、職責をも示している。 p.193 16 澤潟久孝『萬葉集注釋』巻第二、中央公論社1958年、p.244には一首を「燃える火も取つて包んで袋に入るといふではないか。さういふ奇蹟が行はれるやうに天皇にお逢ひ申す日を招き祷ってゐることよ」と解されている。 p.195 30 将李魚成と葱坂福貴―前者は「しょうりのうおなり」、後者は忍坂富貴と読み替えて「お(し)さかのふうき」と訓まれていたが、前者はCarag-niyos、後者は原形のままでSpand(またはSpen)-farroxの写音である。チャーラグは「方策、仕様」、ニヨーシュは動詞niyosidan「聞く」の現在幹であるから、将李魚成なる人名は「仕様を聞く(追求する)者」の謂いで、太孤父面や多くの酔胡従面を手掛けた人として、その卓抜な手腕はこの名ともよく一致する。またスパンドは古形sp∂nta-「利益的」の転訛であり、スペンは古形spanyah-「より利益的な」の転訛であるがいずれも、ゾロアスター教で最優先される徳目の一つである。そして「福貴」なる好字はfarrox「幸いなる」を写音しているから、葱坂福貴なる人名は「利他的にして自利的なる者」の謂いか、あるいは文末に「……であれかし」を意味する動詞badの略されたものとみて「(人は)利他的にして自利的(であれかし)」の謂いであろう。…ところで、問題はこの大理石板の裏面に墨書きされている人名で、(1)須彼天馬、(2)阿斯大尤沙、(3)秦司、(4)山伐一馬、(5)山伐山伐とある(参考文献としては土井弘『正倉院』(原色日本の美術、第4巻)、小学館1968年、pp.46,58,をあげておく)。…残る4人はそれぞれ、(1)Suhitesvara(<suhita-isvara「恩寵深い主」)、(2)Acyutayus(<acyuta-ayus「不動の(=無量の)寿命、またはその保持者、無量寿(者)」)、(4)Sarvesvara(<sarva-isvara「一切万有の主」)、(5)Sarvasaha(<sarva-saha「あらゆる事物に耐える者」)と考えられる。 p.244 またp.121ではAV haena-「敵軍」とあるがp.123ではそれがXiyon「ヒヨーン人、白匈奴」(氏はテュルク人とする)とPZで解釈されている点をも指摘している。 p.248 (註記)DahagはAzdahagともいい、ゾロアスター教徒にとってはアフレマン、アレクサンドロス大王と並び称せられる悪の権化。 p.277 読みにくいPH本の語形を読み取る基準となるものが、この例でもわかるように、マニ教系のテキスト(中期ペルシア語の)である。3〜5/6世紀頃の通音とみてよいものが、そこには表示されているからである。それを「中期ペルシア語(Middle Persian、MPと略記)」とよぶなら、MP:nekih/PH:nywkyh,PS:nekasとなるがPH:nywkyh(MP nekih)/PZ、PS:nekasのような表示が可能となろう。 p.421 これによってイランでは無神論者をソフィステス派とよんだり、ダフリー派(dahrig)ともよんでいたことがわかる。 p.456 このようにkesを侮蔑的に使用する例は中期ペルシア語マニ教残経にみられ、そこではkys(qys)=kesはその複数形において「ドグマ・邪義」として用いられている。 p.457 なぜなら、一つにはケーシュダーラーンなる呼称を受け入れることによって、ゾロアスター教から来る批判を甘受するとみせかけて柳に風と受け流すことができるし、もう一つにはキリスト教内にあって単性論者とは異なる教義をもつものとの自派の立場を明らかにすることができるからである。…あれこれ漢字をさぐってみると、「景(唐音kiang)」こそ字音においてkesにも一部通じるところがあり、漢字としての字義も自派を称揚するのに好適の文字である、というようなところから「景教」と名乗ったものと私は考える。 p.469 これはハオマ液を服用し、その効果を増強するために、護摩(homa)を焚くように火を燃やし心統一をはかること、つまり心理的・宗教的効果を狙ったものである。 p.505  a)撣国は後漢書86:南蛮西南夷列伝に「永元九年(97)徼外蛮及び撣国王雍由調(撣の音は擅。唐観記は擅字に作る)重訳を遣わし国の珍宝を奉ず。……永寧元年(120)撣国王雍由調復た使者を遣わし闕に詣りて朝賀し楽および幻人の能く変化し吐火し……を献ず。自らいう、我は海西人なり。海西はすなわち大秦なり。撣国は西南すれば大秦に通ず、と。……」とある文に見えており、またこれが「大秦」なる語の漢文史料における初出である。…エデッサはオスロエネの首都で、土語名はアラム語Urhay/Orhayであり、そこからオスロエネ(Osrhoene――より正確な原形はOrrhene)なる地名も出ている。 p.506 エデッサは、後述するように、魚豢の魏略に引用する西戎伝(以下、単に魏略とする。この部分は魏志〔三国志魏書〕30に注として挙げられている)には遅散城(Di-san)と音訳されたり、オスロエネ(驢分国)の首都という意で驢分城ともいわれている。 p.507  以上のまとめによると、雍由調はヨウユウデウ(ヨウユウジョウ)で、YalurでなくYaludのほうが、少なくとも語末音では適格である。 p.523 その語意は上述のとおりであるが(p.520)、これがTad-mor(あるいは、ややもすればTad-mar)と異分析され、前半を「大」で写音し、、後半をmareあるいはmari「主、lord」とみて「秦(シナ)」と意訳したもの、それが「大秦」である。 p.540 図示すれば、  インド軍神Indra:別名vrtrahan「ウルトラ殺し」  イラン魔神Indra×軍神V∂r∂θraγna「ウルスラ殺し」 となる。


■狙われる援助関係者=邦人犠牲、過去にも―アフガン医師銃撃
(時事通信社 - 12月05日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5890072

 ペシャワール会の中村哲医師(73)が殺害されたアフガニスタン東部などの紛争地域では、外国人が襲撃や誘拐の対象となることが多く、援助関係者も例外ではない。過去にも邦人が巻き込まれ、犠牲となっている。

 アフガンでは2008年8月、ペシャワール会のスタッフとして現地で復興支援に情熱を燃やした伊藤和也さん=当時(31)=が武装集団に拉致され、殺害された。同会は当時、中村医師を残して日本人スタッフを撤収させた。

 同国では07年6月にも、難民支援活動をするNPO「ライク・ウオーター・プレス」(東京)の男女2人が首都カブールを短期訪問中、自爆テロとみられる爆発に巻き込まれ、負傷して入院した。

 イラクでは03年11月、復興支援の調整に当たっていた外務省の奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官が北部ティクリートで凶弾に倒れた。

 英企業の年次報告書によると、18年に武装組織などに襲われた国連や赤十字、国際NGO職員ら、援助関係者は405人。うち131人が死亡し、130人が誘拐された。

 中でもアフガニスタンは危険地域の一つで、外務省はカブールを除く全土での退避勧告を出し、いかなる目的でも渡航滞在を見送るよう要請。援助関係者は危険と隣り合わせの活動を強いられている。 


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