緊急の検査入院の間、私の部屋環境をスッキリさせるため、妻や娘達が部屋を片付けてくれました。
そして幾つかの発掘がされましたが、何と1972年、山口大学文理学部理学科生物学専攻4年生の時に書いた卒業論文が出てきました。10年くらい前に大学の学部変更に伴う資料整理で卒論を卒業生に戻す計らいがありました。
久々に抜粋読みしてみましたが、確かに心血を注いでいたのは解りました。何しろ今のように顕微鏡写真が論文には使えない環境で、全て顕微鏡観察とスケッチだった時代でした。当時の私はフリーハンドで細胞を自在に描けるほどでした。
先生の指導は代々、顕微鏡で観察して確信した構造を解りやすく点と線で描くことが、正確な観察力をつけるとされていました。ボカシはあり得ませんでした。連続切片を観察して立体像を描く力もつきました。すべてこの1年間の修行のおかげだと思っています。
そのような思いが改めて感じられた卒論の一部をアップします。
全部手書きで、今考えたら、・・・とてつもない時間ですが、無駄ではなかったと思っています。
題名は「大学の卒論を発掘」です。
ログインしてコメントを確認・投稿する