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2020年05月25日23:29

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前職場での4年間

日記ではほとんど前職での記述をしていなかったので、一気にまとめてここに記載させていただきます。

1年目 (ストレスと苦悩と葛藤) 
4月に理学療法士として前職を8か月で退職し、再就職することになる。
病院での研修を2か月受けて、7月から一番忙しい部署で知られていた老健の施設に異動した。当時は少数人数でかなりの仕事量を回していたこともあり、メンバー全員が課長を含めてかなりギズギズしていた。自分は特に仕事の物覚えが悪く、課長に面接の際に何度もはっぱをかけられていた。
仕事で分からないことがあったら、質問しても不機嫌に教えられたり、相談できる人もなかなかいなくて、12月には職場の人全員が敵に見えてしまうほど、精神的にも追い詰められていた。(この時期はまともに感情を表情に表せず、嫌な先輩から、態度が悪いとのひんしゅくも買っていたんだと思う。)
でも一月から職場でストレス検査で異常値が出て、カウンセリングを月一で行うようになったり、今の職場の整体院の先生と出会って「いつでもうちに(就職して)おいで」と温かい言葉を頂いてからは徐々に心身的に落ち着いていった。

2年目(激務)
この年から入院患者のリハビリは個室担当係となった。接遇委員会の仕事、カンファレンスの仕事、ほかにも先輩と一緒に地域住民の方と行う体操教室の指導員を3か月限定で担当したりと任される仕事量が増えていった。仕事量は大変だったが、充実感も徐々に感じ始めていたと思う。この年から気の合う年上の後輩の人が職場に入ってきたり、よさこい音頭のサークルに参加するようにもなり、少しずつだけど人の輪が広がってきた一年だった。人前で出る機会も多かったので自然と度胸がついてきたのだと思う。嫌いな先輩のアタリは相変わらずきつかったけれど、頑張って乗り越えられた。

3年目(安定充実)
この年が一番仕事的に充実していた。自身の仕事の効率も良くなってきたし大抵の仕事は何とかこなせるようになっていたと思う。一年目は課長との関係はギスギスしていたが、この頃にはわだかまりもなくなっていた。ベテランの療法士の人も入ってきて話しやすい
人も増えてきたからだと思う。施設内初のハロウィンイベントにはショッカーの仮装をしたら意外にも大ウケだった。施設長の先生にもその件を覚えていてくれて、後々看護部長・介護部長にも可愛がられるようになっていったと思う。
カウンセリングでも落ち着いて感情が良くなってきたねと言われた。
通っていた整体の先生から「そろそろこっちに来る気はないか?」と言われたが、ギリギリまで考えて「もう少しだけ今の仕事をやらせてください」と答えた。
理学療法士の資格を取るのに5年かかったため、前職の1年を含めて5年はこの仕事を全うしたいと考えたからだ。

4年目(しめくくり)
最後の年だと思って取り組んだ一年。8月からは後輩とまた体操教室の指導員をすることになった。今度は後輩に教える立場なので、準備の段取りは一昨年の記憶を一生懸命に思い出して取り組んだ。利用者・課長からの評判も上々で、次回では全員がリピーターになって頂いたのはとても嬉しかった。委員会の介助方法の伝達講習も頼まれて行った時も、事務長からは「企画力とスピーチ力が良かった」と好評を頂いた。
10月にずっとお世話になっていた先輩が翌年の3月に退職をするとの連絡を聞く。同時期に腰の靭帯を痛めてしまい、再びコルセットでの仕事を余儀なくされた。課長から少し仕事量を配慮してもらえたのは幸いだったが、これを機会に本格的に整体師になろうと覚悟を決める。
1月中旬、退職願を課長に持っていくが、引き留められる。3月31日を退職日にして最後の2週間は15日分の有休を全部消化したいが、「それをされると仕事が回らないためダメだ」と押し問答が2月下旬まで続いた。
当時、新人職員も入る予定もなく、また通所リハビリ・入院を兼務していた自分は、担当患者の大部分が拒否が強い&介助量が多い人ばかりだったからである。
結果、有休は全部は使えなかったものの、3月31日に退職日が決まり、先に退職予定の先輩からの計らいで1週間有休を作ってくれて無事に仕事を締めくくることが出来た。(残り1週間は出勤することを条件で)


とまあ、これが前職での退職までの経緯でした。
なんだかんだで最後は色んな人たちに支えながら円満退職できたと思います。

今の整体師の修行もして一刻も早く一人前に働きたいです!!
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