物事は片方の言い分だけでは事実は見えてこない。そのため教師は双方が面を向かい合わせられる機会を設け、虐めていたとする相手の子供の言い分を聞いている。そして「言い分は最もだ」と思ったために、虐められていたと訴えていた子供に肩入れはしなかったのだろう。
一方の子供が主張していた「汚いとはどういうことか」は示されてない。身なりがうす汚いという意味なのか、悪臭をプンプンさせてるということなのか、或いは穢れものとされる特殊部落(同和)なのかが不明瞭である。
どのような意味であっても、「近寄ってほしくない」者が近づいてくれば迷惑この上ないので、「ここはお前の来るところではない」ことを示そうとして、子供なりの表現(体当たりや罵り)が行われていたと捉えることができる。
大人なら不快を感じても、気持ちをあからさまに表現することはあまりないが、子供は時としてあからさまな表現をするものである。そういう意味では「子供は残酷」と言えるものの、それを大人ならではの視点で物事を判断するのは禁物である。
なので、「見守りの姿勢」を貫いた立派な教師というほかはない。
■いじめ被害児童は「うそつき」 SOS文章掲示した教諭
(朝日新聞デジタル - 12月16日 13:14)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5903775
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