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2019年12月11日19:02

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自分かってな押しつけは善意として受け取られない

貧しい人に援助をするお話として真っ先に浮かぶのは、ジーン・ウェブスター作による「あしながおじさん」である。私は子供の頃にこの小説を読み感銘したが、実際のお話としては野口英世を援助した小林栄が挙げられる。

この二つのお話に共通するのは「裕福な者が貧しい者」に援助することで、仏教的にいうなら「功徳」であり、道端に座っている乞食に金を与えることについても同様である。
それに対して同様の境遇の者が融通するのは「相身互い」で、「ランドセルが買えず手提げ袋で小学校に通った」ことが動機とされているが、貰う側としては「物より金」の方が利用価値があるので、時には「ありがた迷惑」になりかねない。

大昔では災害が発生すると「古着を持ち寄り」、それを被災者に贈るのが慣例化していた。しかし日本が豊かになると、「善意が善意として」受け取られなくなってしまった。
中国の残留孤児だった人が日本に戻って来ることになり、それに合わせて古着を贈ることが行われたが、古着を貰った人は「私は乞食じゃない」として憤ったとの報道が行われた。

孤児院(養護施設)にいる子どもたちは穴が空き薄汚れた衣服を身に着け、かつ食うものにも困る生活をしているわけではない。親がいないというだけで、それ以外においては普通の子供と変わりない生活をしている。なので施設を管理している側としては、物品が送られるのは「始末に困る」ことになりかねない。。


伊達直人の名で寄付 素性公表
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5897991
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