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2019年11月12日22:38

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儀式に際しては、ヒロヒトを墓から引きずりだし、三尺はある棒杭に縛り付けるべきだ

日本社会では事があると上層部は引責辞任を行うのが慣例である。ところがヒロヒトは戦争に負けた責任をとって腹を切るどころか退位すらしなかった「不甲斐ないやつ」である。後年内外の記者を交えた記者会見で、「なんで退位をしなかったのか?」と質問を受けた時に、「私の代で終わらせるのは先祖に申し訳ないから」と答えた。

ところが要請がないのにマッカーサーの元に赴いたヒロヒトは退位をすると盛んに持ち出していた。これはそれより以前に「退位すれば許してくれるだろうか」と傍らの侍従長に述べたことと関わり、「退位すれば戦犯から除外されるかもしれない」との思いの結果である。

しかしマッカーサーは日本の占領政策に天皇を利用しようと腹を固め、連合国本部に脅し文句を並べて戦犯から外すことを了承させていた。しかしそんなことは露知らないヒロヒトは「滑稽な振る舞い」を現したのであるが、話を重ねることによって「戦犯から外されるようだ」と分かり退位について持ち出さないようになった。

一方日本国内では「ヒロヒトは戦争に負けた責任を取るべきだ」といった声が日増しに高まっていた。その中には「退位すべき」というのもあったが、こういった状況をマッカーサーは危惧した。ヒロヒトが国民(当時は、臣民)から背を向けられてしまえばヒロヒトの利用価値が損なわれてしまうからである。
そのためマッカーサーはヒロヒトに日本各地への行脚を薦め、それに従ったヒロヒトが行脚(行幸)することによって、民衆のヒロヒトへの不満の声は次第に沈静化したという。

GHQは社会運動の高まりを危惧していた。今はまだ国内が落ち着いてないものの、落ち着いてくるようなら新憲法に人々の目が向けられるだろうと予感していた。現にその時点でも幾つかの草案が挙げられ、共和制を高らかに謳っているものもあった。
そこで早急に新憲法を決めてしまおうとし、「占領政策に天皇を利用しようとしていたGHQ」並びに「天皇制を存続したいという日本政府」との思惑が擦り合わされて、象徴という形であるものの天皇制を残すための「玉虫色の新憲法」とあいなったのである。

日本占領総司令官がマッカーサーでなければヒロヒトは戦犯裁判にかけられて絞首刑にされ、天皇というシーラカンスと等しい歴史的遺物は絶たれていたことであろう。それが歴史の歯車が狂わされてしまった事によって、「禍々しい天皇」が生き残ることになり、今に続く世まで「害毒が垂れ流されている」のである。

■キリスト教団体、歴史研究者ら 大嘗祭にそれぞれ抗議
(朝日新聞デジタル - 11月12日 20:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5861692
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