mixiユーザー(id:514527)

2019年08月09日17:08

239 view

原子爆弾の間接的加害者は天皇ヒロヒトである

敗戦が色濃く、どうやっても戦局を盛り返すことは無理だと分かっていたものの、大日本帝国には降伏する意思は全く無かった。それは降伏は「天皇制倒壊」を意味していたためで、何とか有利に停戦できるようにとソ連に仲介を求めようとしたものの、それはソ連に参戦を促すことにしかならなかった。

当時米国とソ連は同盟関係にあったが、共産主義のソ連とは相容れられないと分かっていたために、戦後の世界情勢を考えて一刻も早く日本との戦争を終わらせたいと思っていた。そのために日本本土に兵隊を送っての侵攻作戦では間に合わず、すでに実験は完了していた原子爆弾を投下しての戦争の早期終結を目指した。

核兵器は大日本帝国でも研究はしていたが資材その他の関係で実現は到底無理であったが、長崎の原爆投下後に理研の仁科博士が、新型爆弾は原子爆弾であると報告した。これを受けて早速の御前会議が開かれたもの、もたもたとしてうちに広島に二発目の原子爆弾が投下された。
この報告を受けた天皇ヒロヒトは大層怯えたそうであるが、それは自身が原子爆弾で死ぬことを想像したためと推察できる。

大日本帝国は連合国に対してポツダム宣言受諾を伝えて戦争は集結することになったが、ヒロヒトは侍従長が傍らにいる時に「退位したら許してくれるだろうか(戦犯にはされない)」と漏らしたと公表された侍従長の日記に書かれている。

進駐軍が日本に上陸すると、ヒロヒトは呼ばれてもいないのに正装に身を固めてマッカーサーの元に「命乞いに赴いた」。これはヒロヒトにとっては計算づくめの行為であったが、すでにマッカーサーは日本統治のためには「ヒロヒトを利用するほうが得策」としての意を固めていたために、さぞや滑稽として目に写ったことであろう。



被爆体験 消えていった叫び声
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5742067
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年08月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031