大昔には、男性と女性との相違を踏まえた教育が社会に組み込まれていた。その代表格は三従と呼ばれる、女性は「幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫死しては (老いては) 子に従う」である。
現代の視点からすれば時代遅れと感じる向きもいるだろうが、時代が移り変わろうと男性と女性の精神構造の相違はそのままで、男性が女性と共に社会生活を営むためには女性に対してのそれなりの躾が必要なのである。それは人間と犬が共に生活をする際して飼い犬への調教が欠かせないのと同様に、社会が混沌し混乱の原因になってしまうためである。
人類の歴史を見れば分かるように、国家はすべて男性によって作られてきた。女性が作ったとされるのは『伝説上のアマゾネス』しかなく、自ずと男性優先社会ができあがった。
「戦後強くなったものは靴下と女性」という言葉があるように、女権拡張の嵐が日本で吹き荒れることとなった。それは欧米文化が大量に流入したためであるが、明治時代の文明開化のときとは違い、「精神的文化」による現れまでもが流入した。
そのために従来から延々と続けられてきた「女性への教育」が疎かにされるようになり、またその一方で「女性は虐げられていた」という蒙昧な考えを持つ人が現れるようになった。
■DVと虐待、逃げ場ない親子 被害者縛る「アメとムチ」
(朝日新聞デジタル - 02月22日 10:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5508931
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