何を楽しいと思うかは人によって異なるものの、非力なモノに対しての虐めに喜びを見出す人は多い。最も非力とはいっても「時には逆襲」されることはあるものの、最終的には意のままになるなら同じことであり、「多少は骨のある相手」の方がより楽しみが大きいという考え方もある。
ただ現実社会では、必ずしも「適した相手」が見つかるとは限らない。また見つかっても「世間体」やその他の理由によって自制し、「創造されたモノ」だけを相手にする人もいる。「創造されたモノ」の代表格はゲームにおけるクリーチャで、ゲームでは様々なモノを「虐める」ことができるように作られている。
ところが世の中には「他人の楽しみ」に言いがかりをつける人達がいる。それは「自分(自分たち)の考えに合わない」との理由のためで、言いがかりを付けることは「褒められるべきこと」などといった気持ちがあるためだ。
なので時には特定のゲームがやり玉に挙げられることになるが、ゲームの世界であろうと現実世界でのことであろうと考えの大本は全く同じで、とどのつまり「自身の欲望」を満足させるためには、「他人をけなす」ことを躊躇しないというものである。
これは「目くそ鼻くそを笑う」と似たことだが、自身を見つめることができない子供特有の考え方ということもできる。
水路でもがく猫 虐待動画投稿
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