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2022年06月28日02:25

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T・H・グリーンの宗教思想の時代的背景 その67 (再投稿)

T・H・グリーンの教義 その3 グリーンによれば、プロテスタント神学は理性と信仰との和解を試みるものです。即ち、「それは信仰の事柄を、無限の刑罰とか教会の権威の力を借りて受け容れることを要求するようなことによって、何か霊に対立するものとして信仰を取り扱うことを拒否する。それが『信仰』に与えた新しい意味は、教義の新しい意味の発見を暗示している。即ち、『信仰』とは霊的意識のある種の条件である。教義はこの意識を理解したことの表現であり、信仰者にとって、最初は、それはまさしくそれをそのまま表現している意識として、到底変えることも、また自分自身から引き離すことも出来ないもののように思われるのである」。
 このようにプロテスタント神学は、元来、信仰者各自の信仰と密着した教義の理解を求めたのですが、一方では自分自身の信仰経験と霊的自由と、他方では<原罪>、<受肉>というような教義的表現とを同時に自己の中に保つことが困難となり、結局、一般のプロテスタントは自由の途を放棄し、奇跡とか教会の権威に身を委ねる途を選んで来ました。そこで、彼らに残されたかすかな自由は、「内なる光」によってキリスト教的経験が満たされることを求める所にのみ見出されることになりました。
 しかし、個人は意識的にせよ無意識的にせよ、自らのキリスト教的経験を知的理解として形成するものです。そしてそれを唯放置する必要がありますが、そのためにはそれは哲学に変えられなければなりません。直観が直ちに抽象ととされるというような教義ではなく、理性によって観念として同一化する哲学的営みがその要請に応える途です。

この続きは別項で。
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