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2020年01月21日10:42

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1月19日(日)のマイティ井上さんのトークショーについて

Facebookの「国際プロレスと聞くと胸が熱くなる人の集い」というグループにも書きましたが、プロレスにあまり詳しくない人でも楽しめるように、改めて書き直します。

さて、1月19日、日曜日に山手線の巣鴨駅から徒歩1分のところにある「闘道館」というプロレスのマスクやTシャツなどのグッズを売る店のイベントスペースで行われた「マイティ井上トークショー」なる催しに行ってきました。
正確な名称は「ドクトル・ルチャのビバ・ラ・ルチャ!vol.43『望郷の国際プロレス・至宝再会!IWA世界ベビーベルト復活祭』」。ドクトル・ルチャとは清水勉という人です。

イベントスペースは店の2階にあり、130人ほどは入れるイベントスペースはお客さんでびっしりになりました。

マィテイ井上という人は、国際プロレスという、絶対的なスター選手のいない弱小団体にいた選手でした。大阪出身でボディビルで体を鍛え、入門するとマティ鈴木というアメリカで活躍した人から一からレスリングを習ったのです。
「マイティ」というリングネームは、この「マティ」から取ったものです。

馬場も猪木もいないプロレス団体が運営できたのは、初期に豊登という、馬場の前に日本プロレスでエースをつとめていた人がいたこと、TBSが中継していたこと、イギリスから招いたビル・ロビンソンという選手が人気が出て、日本人組のエースに据えたことなどが要因として考えられます。特にTBSは他のテレビ局に比べても全国すみずみまでネットワークを持っていたので、東京や大阪では大観衆を集められない国際プロレスも、地方興行では強かったのです。

で、マイティ井上は若くしてヨーロッパ、さらにカナダのモントリオール地区で実戦修業を積みました。
特筆すべきはこの人、海外で「悪役」をやっていないのです。
日本人が海外で試合をするというと、たいてい悪役をするのです。
ガウンがわりに着物をまとい、頭は坊主刈り、素足に雪駄か下駄を履き、田吾作タイツ。リングの四方に塩をまきちらし、これをいきなり対戦相手の目にこすりつける。
技らしい技なんてほとんどやらない反則オンパレードで、最後は地元のエースにやっつけられるというのが、ほとんどのパターンでした。

アントニオ猪木さえ、渡米初期はアメリカ西海岸で怪奇派レスラーのギミックをさせられていたくらいですから。

ところがマイティ井上はふつうのコスチュームで、自分から反則はやらず、フライング・ショルダー・タックルや、倒れた相手の上で回転しながら落下するサマーソルト・ドロップという空中殺法を主体にしていたのです。

海外遠征から日本に帰国すると、浜口京子のお父さん、「気合だーっ!」のアニマル浜口と「和製ハイフライヤーズ」「浪速ブラザーズ」というタッグをよく組んでいました。

TBSが放映を打ち切ってしまうと、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が関東限定ですけれど、放映をするようになりました。
ここで井上は若きエースとして擁立され、24歳で国際プロレスの看板、IWA世界選手権というベルトを獲得するのに成功します。

しかし東京12チャンネルは、外見が力道山を彷彿とさせるということから、黒のロングタイツのラッシャー木村というレスラーをエースに据えることを希望し、井上はベルトを失ってエースの座から転落します。
本人は「肩の荷が下りてせいせいした。まだ若かった俺にはチャンプの座は重すぎた」と語っています。

私がマイティに注目したのはそれより前。昭和46年の2月に急遽、短期帰国させられたシリーズの試合ででした。
相手は力道山、馬場などと互角以上の勝負を繰り広げた"ビッグ"・ビル・ミラー。
井上より格も実力も上のレスラーでした。

ところが井上は動き回り、果敢に攻め立て、きりきりまいさせたビル・ミラーを座り込ませてしまいました。
結果はミラーの勝利となりましたが、問題は勝ち方です。
ふつうに井上を仕留めたのではなくて、井上の首をロープにひっかけ、そこに膝を落とすニー・ドロップをフィニッシュとしたのです。つまり反則殺法です。
これは若き井上をミラーがリスペクトしたわけです。

翌年、昭和47年の11月にも同じようなことが起きました。
馬場&猪木からタッグ選手権を奪ったこともある、ディック・ザ・ブルーザーとクラッシャー・リソワスキーの「最凶コンビ」のベルトに挑戦したのです。
私はこの試合を見に行きました。「井上ーっ!」と声援した私の声はテレビ中継でも捉えられていました。

井上の空中殺法にきりきりまいさせられたこの大物二人は、力を合わせてようやくとらえ、井上の飛び蹴りを両手で振り払い、フィニッシュはブルーザーが井上の股間に飛び降りてきた「アトミック・ボムズアウェイ」だったのです。もちろんこれも反則。
二人が初対決の井上をリスペクトした証拠です。

そんなマイティさんに私は質問したいことがいっぱいありました。

ところがこの闘道館でのイベントには、やっかいな人物が絡んでいました。
「ロミロミの父」とか「マハロ・カタヤマ」と自称する片山喜朗です。

私がYahoo!掲示板で「オールドファン集まれ!」というトピックを開催していた時には謙虚だったのですが、ハワイアンマッサージ、つまりロミロミの通信教育でささやかな成功を収めると、本性を現すようになりました。

Facebookなどを本拠としていますが、上から目線の投稿のはなはだしいことはなはだしいこと。
自分が「マハロ・カタヤマ」とか「片山喜滝」とかの偽名を使っているくせに、私に本名を名乗れと要求してくる図々しさ。
私はすっかり嫌になり、mixiも切り、Facebookでも友達を解除してしまいました。

闘道館でこそいっぱしの顔ですが、聞けば安田格了さんなる人を中心としたプロレスファンの間では、上から目線の投稿、オフ会での横入り発言や知ったかぶりへの嫌われ方は相当なものだそうです。
元プロレスラーへの媚びへつらいぶり、ケツ舐めの凄さは私も目にしています。
彼の高校での同級生も(プロレス雑誌に執筆している)流智美さんや小泉悦二さんへのこびへつらいぶりは「見ていて反吐が出そう」と言っていました。

イベントでマイティ井上さんとドクトル・ルチャが会話していると、客席の後方から何か大声で叫び、話に割って入ってきて、例の知ったかぶりを始めました。ドクトル・ルチャこと清水さんは仲間として認めているからこそ許されたものの、他の聴衆に失礼なこと極まりません。
自分さえ良ければ、他人などどうでも良いという性格丸出しです。

私はしらけきってすっかり嫌気がさし、肝心のQ&Aコーナーでの質問をする気が失せました。

また、第一部の最後に次回の予告として、この片山が主宰するハワイのプロレスだか何だかのスライドショーが行われたので、私は完全にしらけきり、一部・二部の通し券を購入したにもかかわらず、二部の井上さんとの撮影会・サイン会に出席することなく、会場を後にしました。

第二部の後に打ち上げがどこかの店で行われ、ザ・グレート・カブキさんのサプライズ参加もあったそうですが、片山がいたんじゃあ、酒も料理も不味くなるだけだしねえ…。

救いはトイレ休憩の時に、井上さんとちょこっとだけ言葉を交わせたことです。

質問ができなかったのは残念だったけれど、井上さんのスペイン遠征やスペイン出身のプロレスラーについての話は楽しかったです。

巣鴨を後にした私は、スペインつながりというわけでもありませんが、スペイン料理屋で夕食を摂りました。

なお、片山が東京から茅ヶ崎へ都落ちして開業しているロミロミの通信教育ですが、都内の複数の同業者に問い合わせてみると、どちらも、「そういう教育業者は存じません。だからコメントもできません」「日本に誰がロミロミを持ち込んだなどとは知りません」とのことでした。
「ロミロミの父」なんて自称だけで、同業者からはまったく認知されていないのです。
つまりは「もぐり」だったということですね(笑)。
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