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2019年11月18日03:24

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11月18日が忌日である人々

1887年、ドイツの心理学者、物理学者、哲学者、グスタフ・テオドール・フェヒナーが86歳で死去。実験心理学、生理心理学の先駆者、精神物理学の創始者であり、多くの20世紀の科学者・哲学者に影響を与えた。また、心理的感覚と刺激の物理的強度との間にS = K lnの非線形関係があることを実証し、これは今日ヴェーバー‐フェヒナーの法則として知られています。フェヒナーの哲学思想は、精神と物質はひとつであり宇宙は一つの面から見れば意識、一つの面から見れば物質であるというものです。彼は宇宙を意識的存在と見ることを「昼の見方」、無生物として見ることを「夜の見方」と呼び、夜の見方の眠りに落ちた人々を昼の見方に目覚めさせることを目指しました。彼の哲学の反響は小さかったのですが、その哲学に基づいて構想された、身体と精神(物的エネルギーと心的強度)の関係を研究する精神物理学は大きな反響を呼びました。1887年11月18日に86歳で死去。
1922年、フランスの小説家、ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル・プルーストが『失われた時を求めて』第5巻以降の改稿作業の半ばに、喘息の発作と風邪による肺炎併発のため51歳で息を引き取りました。畢生の大作『失われた時を求めて』は後世の作家に強い影響を与え、ジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカと並び称される20世紀西欧文学を代表する世界的な作家として位置づけられています。プルーストは、非常に繊細で過敏な神経の持ち主でした。オスマン通り102番地のアパルトマンの部屋では、喘息に障ることを恐れたこともあって、常に窓を閉ざし、厚いカーテンを閉めたままにして外気も光も遮断し、また部屋の壁をコルク張りにして音も入らないようにした上で、昼夜逆転した生活を送りながら、執筆を進めていました。医者嫌いでもあったプルーストは、医師の処方には見向きもせず、自室でルグラ粉末に火をつけて燻蒸を行なうことでその治療とし、またヴェロナールとカフェインの錠剤を常用していました。死の原因も喘息の大きな発作のあと、風邪を引いたことによって併発した肺炎であり、最後まで入院を拒んで自宅で死ぬことを選んでいました。ユダヤ人でGAYでした。
1944年、創価教育学会(後の創価学会)初代会長の牧口常三郎が伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で下田警察署に連行され、東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去しました。歴代の創価学会の会長の中で唯一まともな人格者で、「創価教育学支援会」が結成された際には『創価教育学体系』を高く評価した新渡戸稲造、柳田國男、犬養毅ら28名が参加しました。
1972年、実業家の上野十蔵が南青山の自宅で心筋梗塞のため死去しました。享年80。中外製薬創業者・元代表取締役社長。製造工程のオートメーション化により、「グロンサン」などの大量生産に成功。同時に広告戦略を巧みに使い、業容を拡大。1962年には日本宣伝賞を受賞。しかし証券不況のあおりを受け業績悪化。本社売却、人員削減、商品戦略の見直しを行い、1966年4月、会社再建のめどをつけ、社長を退任。娘婿に譲りました。
1997年、医師、内科学者、消化器病学者の小黒八七郎(おぐろ やなお)が胃癌のため68歳にて永眠しました。世界で初めて内視鏡による胃癌治療を実施しました。この功績により、田宮記念賞を受賞しています。
2002年、アメリカの俳優、ジェームズ・コバーンが心筋梗塞により74歳で死去。フルネームはジェームズ・ハリソン・コバーン3世。コバーンは45年間のキャリアを通して70を超える映画と100を超えるテレビドラマに出演しました。幅広い役柄を演じた彼は『白い刻印』のグレン・ホワイトハウス役でアカデミー助演男優賞を受賞しました。『荒野の七人』、『突撃隊』、『大脱走』、『ダンディー少佐』、『電撃フリントGO!GO作戦』、『夕陽のギャングたち』、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』といった西部劇やアクション映画で、荒削りの、歯を見せて笑うタフな男を演じることが頻繁でした。1960年代後半から1970年代前半にかけて彼は「クール」なイメージをもたれます。そして同年代のリー・マーヴィンやスティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソンと同様に、彼は「タフガイ」のスターになりました。アメリカで柔道を学び黒帯を取得、来日時には講道館を訪れました。また、ブルース・リーに武術、アクションを学んでいます。
2014年、エッセイスト、メディアプロデューサーの羽仁未央(はに みお)が肝不全のため東京都文京区の病院で死去。50歳没。小学4年生の時に学校教育を否定し、話題になりました。それ以後は学校に通わず、学校教育も受けず、家で教育を受けます。ホームスクーラーの先駆けとも言える存在。10代の頃からコラムや映画の批評、短編小説、エッセイ等を執筆し1987年から香港在住。1982年、ナンセンスSFコメディ「ヘリウッド」で映画に出演。1991年、香港映画「妖獣大戦」で監督と脚本を手掛けました。アジア中心のドキュメンタリー番組などを制作。晩年はインターネットを主軸にして活躍しており、アジアチャンネル、MonjaKids.comなどのコミュニティーサイトを手掛け、香港に会社を持ち、日本と香港で主な活動を行っていました。2006年、荒戸映画事務所が製作した「ゲルマニウムの夜」(原作花村萬月、監督大森立嗣)にて、スーパーバイザーを務めました。映画監督の羽仁進と女優の左幸子を両親に持ち、叔母は女優の左時枝。祖父は歴史学者の羽仁五郎で、祖母は婦人運動家の羽仁説子。曾祖父は第四十銀行創立者の森宗作とジャーナリストで自由学園創設者の羽仁吉一で、曾祖母は吉一と同じく自由学園創設者でジャーナリストの羽仁もと子。

ギタリストの大村憲司を抜かしましたが、ご容赦ください。
本日はここまでです。
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