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2019年10月22日09:22

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ジャズピアスト、上原ひろみ  PART 2

三番目に渡米したミュージシャンを挙げるなら、トランペットの日野皓正でしょう。そう、マスコミなどで紹介されるとき、「世界の日野」と言われる彼です。日野皓正は若き日にドラムスの白木英雄のクインテットの一員として、スイスのモントルージャズフェスティバルで注目を集めた。これが彼の海外での演奏活動のほぼすべてです。
NYに20数年、居住していましたが、ジャズクラブなどに出演することはまったくなく、隠遁生活みたいな暮らしを続けていました。したがってアメリカのジャズファンで彼を知る者はほぼ皆無。ミュージシャン仲間でも日野のことを知る人はごくごく稀でした。
じゃあどうやって暮らせていけたかと言うと、彼にも大手広告代理店"博報堂"がついていたのです。金づくでアメリカの実力ミュージシャンを編成し、「世界の日野」のキャッチフレーズで日本に凱旋公演をおこなっていたのです。NYでも、博報堂がジャズクラブを借り切り、日航とタイアップして日本からのツアー客を入れていたのです。博報堂のおかげでニッカウィスキーのCMにも出ていましたし。
彼に演奏上の欠陥はありません。リーダーとしてアメリカのミュージシャンをバックにした公演を私も見ましたが、リーダーとしての振舞は威勢の良いものの、別の日に、ジャムセッションの一員として出演したときには、個性に乏しい、スケールの小さな存在に映りました。
「世界の日野」というのは虚名でしかありません。アメリカでのレコーディングも、日本のレーベルの肝いりのものを除けば、ベーシスト、サム・ジョーンズをリーダーとした"Visitation"というアルバム一枚きりです。

四番手は意外な人。歌手の由紀さおりです。そう、『夜明けのスキャット』でデビューし、近年はお姉さんとのデュエットで童謡、クラシック、歌唱曲などを歌っている、あの由紀さおりです。彼女はピンク・マルティーニ・オーケストラと組んで、ジャズアルバムをリリース。これが好評で、ビルボード誌で1位にランクされるなど、高い評価を受けました。
ところが良かったのはここまで。
彼女は欲をかいて、黒人歌手ビリー・ホリデイのナンバーに挑戦しようとしたのです。白人たちからリンチを受け、死体を木の枝に吊るされた黒人を『奇妙な果実』というタイトルにしたことからも分かるように、ホリデイの歌は弾圧され、差別され、抑圧され、果てはなぶり殺しにあうという黒人ならではの陰惨な歴史を背負っているのです。東洋から来た女性が呑気にものにできるはずがないのです。
由紀さおりはレコーディングスタジオで大恥をかきました。
せっかく築き上げた評価も下落。録音を中断して帰国した彼女は、日本でもジャズを歌うことは二度となくなりました。

他にも前後して、有象無象のミュージシャンが日本のレコード会社から、ジャズフェス関係者などに売り込まれましたが、みんな楽器はそこそこ演奏できても、本場でやっていくだけの個性やずぶとさに欠け、「もう、日本から売り込みはいいよ」という雰囲気がアメリカやカナダのジャズ関係者には蔓延するようになってしまったのです。
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