言わずと知れた、ジャズ=フュージョンのエレキ・ベースの第一人者でした。
「でした」と過去形で書いたのは、1987年に夭逝しているからです。36歳の若さでした。
フレームを取っ払ったエレキベース(フレットを抜きパテ埋めしたあとに船舶塗装用のエポキシ樹脂で指板全体をコーティング)を魔法のように操る姿は、凄いの一言につきます。
https://www.youtube.com/watch?v=8cpwaq7CxD4
Jaco Pastorius-live in montreal jazz fest 1982
凄いでしょう?
しかし全盛期の彼はこんなものではありませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=pvjHT8Lepz8
Jaco Pastorius(デビューアルバム)
https://www.youtube.com/watch?v=mQZbMbngCAE&list=PLG2na-qjU_4oJ4UVlIuzAWQKhRcEC1Vds
Word Of Mouth
リーダー作はこの二枚のアルバムにつきるでしょう。
デビューはパット・メセニー(ギター)の1975年にリリースされた初リーダー・アルバム『ブライト・サイズ・ライフ』にベーシストとして参加したものでした。
また、彼は一時、人気グループ「Weather Report」にも在籍していて、このグループの屋台骨を支えていました。
https://www.youtube.com/watch?v=dlee09qmnv4
Heavy Weather
これはスタジオ録音ですが、このグループの真骨頂は、ライブバンドとしての側面にありました。バンド全体が一体化したシンセサイザーとパーカッションになってしまったのです。フロントをつとめるはずのテナーサックスのウエイン・ショーターの影が薄いな、と感じるのは私だけでしょうか。
日本での公演を録音したものをFM東京が放映し、私はそれをカセットテープにダビングしました。宝物です。
この『ヘヴィ・ウェザー』以降ではいちベーシストとしてだけでなく、コ・プロデューサー としてクレジットされるようにもなりました。ウエイン・ショーター、ますます影が薄くなってしまうなあ…。
ベースだけでなく、ドラムスも得意で、何曲かレコーディングもしています。
これだけ素晴らしいプレイヤーですが、模倣したり後継者となった人はほとんどいません。わずかにフランスのバニー・ブルネル(Bunny Brunel)がいたのにとどまります。彼はチック・コリアの目に留まり、徹底的に売り出されましたが、米国では音楽的にも商業的にも成功しなかったようです。
晩年のジャコは、健康状態や、奇行や荒れた生活から来る悪評によりニューヨークのジャズ・クラブ等の多くから出入り禁止を受けるなど、業界から「干された」状況となって行きました。
1986年の時点では彼の精神状態はさらに悪化し、アパートを追い出されて後は路上生活を送って(ニューヨーク市内のバスケットボール場で寝起きして)いました。この年の6月には前妻のイングリッドの助けを得て精神病院に再び入院しますが、年末には再び路上生活に戻っています。
1987年9月11日、サンタナのライブに無許可で飛び入りしようとして警備員とトラブルになり、さらに翌日未明、「ミッドナイト・ボトルクラブ」という店に泥酔している状態で入ろうとしたところ、空手技能を持ち合わせたガードマンと乱闘になります。乱闘の際、コンクリートに頭部を強打、脳挫傷による意識不明の重体 に陥ってしまいます。
病室では昏睡状態が続いて一向に意識回復などの兆しがみられず、植物状態としてかろうじて心臓だけは動き続けていました。親族による話し合いの末、ジャコの父親であるジャック により人工呼吸器が外され、1987年9月21日、21時25分、親族と病院関係者らが見守る中、永眠。彼の生まれ故郷であるフロリダの地で35年9か月あまりの生涯を閉じました。
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