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2018年12月12日11:39

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歌舞伎のこと

私は先代市川猿之助(現。市川猿翁)と中村勘三郎(元。中村勘九郎)のファンでした。
市川猿翁は大病を患い、今では舞台に立つことはありません。また、私と同い年の勘三郎は57歳の若さで亡くなりました。ためにもう彼らの舞台を見ることはできません。
健在の時は勘三郎見たさに京都の南座まで出かけたこともあります。
勘三郎の芸は喜劇的要素のある演目では、松竹新喜劇の藤山寛美の芸風を取り入れたものでした。
猿翁と菅三郎の共演した「鬼揃い紅葉狩」という作品では、興に乗った勘三郎がアドリブでくるくると回転しながら待っていたものです。

猿翁は若き日に高麗屋三兄弟、先代市川團十郎、先代尾上松録、先代松本白鴎に「あれはかぶきじゃない。サーカスだ」と嫌われ、歌舞伎界の孤児となていました。やむなく彼は自前の弟子を育てたり、当時衰退していた上方歌舞伎の役者たちを一座に引き入れ、上演をしていました。
色々な役者がいましたが、印象に残っているのは中村太郎という人です。ほんのちょい役で起用されることが多かったのですが、この人が舞台に立つと、「ああ、プロだなあ」と思わせたものです。この人、なんと三回も心中未遂事件を起こし、歌舞伎界で相手にされなくなっていた人です。
かつては中村歌右衛門の相手をつとめていたこともある上方のベテラン役者、實川延若も思い出深い人です。

さて、歌舞伎好きは私の母親の遺伝でしょうか。母は若いころ、松竹の重役さんにふとしたきっかけから可愛がられるようになり、友達と一緒に脇花道の後ろにある監査室から無料で舞台を見せてもらっていたそうです。

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