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2021年10月21日19:28

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00年頃から外観が違う=特別な個性で尊重!と言う勘違い教育地域では、反感から攻撃あるよね。

■「ガイジン」発言を許さなかった学生時代…アルビノの私が受けた差別 友だちがいなくても乗り切れた理由
(ウィズニュース - 10月21日 07:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=6710547

ウチは障害者、障碍児を主に扱ってきていた福祉NPOなので、外見の違い、外観の違いに寄る障害や生活の不便等は見てきているので大体の差別は見てる、聞いている、言われてるな感じなのですがアルビノ辺りになると嫉妬もありますね。

特にコラム記事の人の場合だと、26歳。
と言う事は、そこそこにアルビノの人がスペシャル的なイメージを持っている時代に幼少期、ですよ。
前世紀の全盛期だった新世紀エヴァンゲリオンなんかは綾波レイなんかはアルビノイメージで色々と困惑したアルビノの知人もいましたし(ヲタ嫌いに育ちましたw)。

また、今世紀になってしまうとタイトルにあるように外観の違いや障害、また人と違う事をまるでスペシャルな事の様に言う人、特に教育に係る人にそういう言い方や遣り方を子どもに押し付ける人も増えましたので、何かと窮屈な思いをしていたのは「普通の子」にも多い状況と判断しないといかんだろうな、と。

同じ年代の子どもたちがこの人の事を侮辱の意味でガイジンと言うのであればその根幹にあるのは差別意識ではなく、嫉妬や押し付けられた、それも大人のたった一人の個人の思い込みでの理想の姿を押し付けられた事によるストレスとそこに存在する先生が尊重するスペシャルな個人がいることでの不平不満てのは有ったりします。

子どもは残酷な存在でもありますから、自分達が不利益を被っていると思うとその分離液を享受していると思える個人へと攻撃の意志が向きますし、侮辱の意味であろうとなかろうと馬鹿にする意図を持って言葉を使いますし、拒絶の意図を持って言葉を用います。
その部分を確りと見極めないで差別だなんだと言う事を言い、大人の論理、というか個人の理想や妄想を押し付けることをしてしまうと、子どもの心は怒りに満ちる訳ですからね。

この人は周囲の同年代の子どもたちに怒りはあるでしょうが、その一歩先の、そういうふうにしてしまった大人の勝手な思い込みと言う問題に目を向けないと本当に差別は消えないだろうし、これは差別ではなく報復と拒絶なのだ、と言う現実を大人が知る事は無い様に感じました。
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