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2018年09月08日11:20

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北海道胆振東部地震体験記

 三日前、9月六日の深夜と明け方の境目に、大きな揺れで目が覚めた。3時8分だったらしい。盾に揺れたらしいのだけれど、私はグルグル振り回されているような気分
がした。ベッドの上に飛び起きた後は物が落ちてこない場所に体の位置を決めて、ただただ収まるのを待った。棚の一番上にあったものがなだれ落ちてきていた。キッチン
からは水の流れる音がして、いってみると大きなまな板が蛇口を直撃していた。この時すでに停電が起きていたのだけれども、視力の落ちている私にはそれがわからなかっ
た。目が見えなくなったことを恥ずかしいなんて思う必要などないのだけれども、ノートパソコンや携帯がバッテリーで動いていたことに気がつかずに、私は普通に生活し
ていた。こうして私はいつ、ものように電力を大量に消費していた。眠れなかった私はpcでゲームをして過ごし、6時ごろにラジヲを聴いてみた。そこでやっと、北海道
全域が停電だということを知った。そして、震源に近い地域に大きな被害があったことを知った。電力の消費を抑えなくてはならない。やっとそのことに気づいたときには
pcの残り時間が6時間。サブが2時間。携帯は使っていなかったのでほぼ100パーセントだっただろうか。安否確認のため母に電話してみると母は実家にいない様子。
父とは連絡が付かない。母には水と食料の確保をするようにすすめられた。水に関してはアドバイスをありがたく思ったけれども食料はどうなのだろう?食べ物がまったく
ないのならともかく、毎日の生活のために食料は十分にある。電気が入っていない冷蔵庫の中のものが心配なのだけれども、あわてて買い物に出かけるのはパニックの連鎖
に加担するのではないだろうか?追い詰められたらそんなことを言っていられなくなるのかもしれないのだけれども、食べ物が必要な人を優先すべきだろう。そもそも、こ
の体で混乱したお店で買い物するなど想像ができない。そこで、とりあえずお風呂場に水を貯めることにした。ただ、自分の感覚では今回の揺れはそれほど長くライフライ
ンが途絶えるほど酷くはないと感じていたために、飲み水の確保のことは考えていなかった。

 心を落ち着けることを優先し、中の良い友人たちに自分が元気であることと電力がこないことを伝えた。携帯には心配するメッセージが届く。中の良い友人たちだけでな
く、あまり話していない人からも!けれどもどうしよう。。音声を使っている携帯のバッテリーの減りがとても早く丁寧に返事をしたり書いたりできない。ささっと短い返
事だけするのだけれどもそれにまた返事がくる。災害時の安否の確認のメッセージは嬉しいのだけれども、着信が増えると不安になる。ほとんど関りのなかった人が思い出
したように形式的なメッセージを送ってくると腹立たしくさえ思えてくる。バッテリーの確保。それもまた大切なのだと痛感する。これは経験者でないと分からないものだ
ろう。

 町内会の会長さんからも連絡が入る。家の前まで来てくれたらしい。何かあったら連絡してねと言われた時、地域に繋がっていることの大切さを感じた。9月二日の日曜
日、町内会で焼き肉パーティーがあって私も顔を出したのだけれども、その時に災害の準備をするようにと呼び掛けていた。あの時、日本ではどうしてこんなに最悪のこと
を想定しなければならないのだろうと私は感じていた。まさかそれが数日後に起きるとは思ってもいなかった。

 ところで、最近よくビデオチャットをしていたアメリカの友達に、前の日に台風一過で電波の状態が悪くワイファイが繋がらないと話していたのだけれども、次は大地震
の電力供給の停止でやはりチャットができないと伝えなければならなかった。冗談みたいなのだけれども、メッセージを送った時の私はそんなことには気が回らないほど動
揺していたのだと思う。事情はよくわからないけれど。という反応だった友達から

 「北海道は25年ぶりの台風の直撃の後にマグニチュード6.7の地震があったんだね。状況がやっとわかったよ。とにかく安全でありますように。」

と返事をもらった時には涙が出た。世界的にはそんな悲惨な大災害として報じられているのか。というか、私はその被災地にいるのか!!!

 10時ごろからは冷蔵庫の中のものをどのように長持ちさせるかを考えるようになっていた。特に冷凍庫の中が気になる。火を通しておかないと悪くなるものを調理して
しまおう。料理をしているとヘルパーの事業所から電話が来た。

 「後4時間後に断水になるそうです。」

いろんな場所に電話しているのだろう。丁寧だけれども短い。だからこそありがたい情報が入る。きっと水道の会社から直接連絡があったのだろう。入所施設のあるような
福祉施設にはこのような情報が入るのだろうか?私は飲み水の確保も含めていろいろなものに水を入れた。ヨーグルトの容器とか、バケツとか。しかし、計画的な断水はい
つまで続くものなのだろうか?

 料理を終えてからネットを検索してみると災害時のライフラインの復旧の目安が書いてある。電力と水道は二日から1週間。ガスは数日後にもう少しゆっくりとした形で
復旧していくもののようだ。最短の二日だったらどうにかなりそうだ。けれども、1週間だとしたらどうやって過ごせば良いのだろうか?不安がこみあげてくる。

 12時ごろ。裏の家の子供たちが外で遊び始めた。電力が止まり車もあまり走っていない近隣は本当に静かだった。その非日常的な静けさの中に子供たちの笑い声が響く
。少なくても不安や恐怖は感じていないようだ。断水のことを伝えるべきだろうか?でも何かが私を引き留めている。そうこうしている内に電話の電池の残量が30パーセ
ントになってしまった。減りが早すぎる。電源を落として必要な時だけ使うと決めた時、私はすべてから隔絶された気がした。そしてここではじめて不安と恐怖を同時に感
じた。何日この状態が続くのだろう。一人で乗り切れるのか?避難所にいかなくてはならないのだろうか?この状況で考えられる最悪の事態とはどんなものだろうか?

 今までのライフスタイルを捨てる時期なのかもしれない。私は久しぶりに点字の東洋医学の教科書を開いた。そして瞑想をした。すべてが良い方向に動きますようにと祈
りながら。

 14時35分過ぎ。38分だったと思う。ピピっという電子音が聞こえた。

 電気が復活したのだ!

 私が最初にしたのは、断水がいつまで続くかを調べることだった。北海道、断水で調べていくと

 断水の情報はデマです。

というものがヒットした。SNSで拡散されている水道局が計画断水するという情報は誤りだという。ここで私の現実はまた反転した。まだ安心はできないけれど、私のライフ
ラインはとりあえず確保できたらしい。この時私は自分の近隣が同じように電力が受けられるようになったと思っていたのだけれども、どうも道を挟んだ向かい側の家には
電気が来ていなかったらしい。

 ということで、二日目になっても閉店しているスーパーやコンビニが多く、開いているところには列ができている。近所の小中学校は避難所になっている。午前中にヘル
パーさんと少し離れたコンビニにいったところ、レジには20人ほどが並んでいたようだ。すぐに食べられるパンや総菜はほぼ売り切れている。カップ麺に興味を示した私


 「種類が一つしかないんです。」

とまくし立てる店員さん。1種類と言いながらいくつもの味を言い続ける彼女だけは興奮しているように見えたけれども、買い物に来た人たちは落ち着いていた、いやむし
ろ無言だった。私と同じように内心の不安を隠しているのではないだろうか。

 いつも歩いている散歩道は地割れなどはなかったのだけれども、沢山の木の枝が折れ、そして多くの木が根元から折れたり倒れたりしていた。そう言えば台風が来ていた
のだと思い出す。台風と地震でめちゃめちゃになっていたはずなのに散歩道は歩けるようになっていた。子供があそぶ公園も木の枝を集めて寄せていある。こんな混乱した
状況でだれが下仕事なのだろう。また地震がくるかもしれない。それは分かっていたのだけれども、どうしても見ておきたかったのだ。自分の愛する場所が今どうなってい
るのかをどうしても知りたい。その気持ちをヘルパーさんはとてもよくくみ取ってくださっていた。彼女の家には電気が通っておらず、家に帰っても熱いシャワーを浴びる
ことはできないのに。

 家に戻ると父が来ていた。電力は戻っていないもののそれをまったく気にしておらず、1週間もすればもとに戻るだろうと落ち着いて話していた。電気があるのなら泊ま
りたいと言われることを予測していたのだけれども、父は当然のように実家に帰るという。マイペースに草むしりをしてから、悠々と父は帰っていった。報道されている悲
惨な状況にみんな驚いているはずだ。けれども、今自分に何ができるのか。それを考えて行動している人たちやその仕事を私は間近に感じていた。こんな時なのだけれども
、私はこの国に生まれたこと。生きていることを誇らしいと感じていた。夜8時。実は入院していたという母から電気の復旧の連絡があった。けれども父には連絡が
取れない。私の近隣の、そして道内全体の電力の復活はいつになるのか。長引くと物資の不足が深刻になるのではないかということがその時一番心配だった。そんな不安を
抱えながら眠りについた。

 三日目、9月八日の朝。電力会社の情報を確認したところ、293万軒、道内の98パーセントの電力が回復したと書いてあった。この時、私の意識はほぼ通常モードに
切り替わった。昨日買うのを諦めたものもじきに手に入るだろう。ただ、まだ完全に安心するにはいたっていない。余震がくるたびにまた混乱が起きるのでは、と不安にな
っている。

 今回の地震で被災された方々。今も困難な生活が続いている方々には、自分が先に楽になってしまったことを申し訳なく思う気持ちがある。これは、私が20年以上前に
体験した震災でも同じだった。すべてが早く良くなることを祈りつつ、私は状況を見守っている。

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