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日記一覧

【現代語訳】「ネズミの為にいつも飯を残しておき、蛾を可愛そうに思い燈火をつけない」(蘇東坡「蘇軾詩集39巻」の詩)。昔の人のこのような心遣いが、我々が生きてゆく上での重要な心がけである。このような心がけが無ければ、我々は土や木で出来た人形と

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(現代語訳)風雨が激しく吹きつける場所では、足をしっかりと大地にすえて立たねばならぬ。花や柳があでやかで美しい場所では、目を一段と高い所につけて見なければならない。路がどれもこれも危険な場所では、早く思い直して引き返さなければならない。(原

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【現代語訳】この世が幻のように仮にあらわれた現象界だという観点に立てば、 功名富貴などはいうまでもなく、わが肉体さえも、仮りの形でしかない。この世が真の実在界だという観点に立てば、父母兄弟はいうまでもなく、天地万物もみな我と一体である。そこ

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【現代語訳】富貴や名誉も、徳望によって得たものは、たとえば自然の野山に咲く花のように、ひとりでに枝葉が伸び広がり十分に茂っていくものである。これに対して、事業の功績によって得たものは、たとえば人工の鉢植えや花壇の花のようで、移しかえたり、捨

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中国の土砂崩れ事故
2015年12月24日00:01

浅川嘉富氏(2015年12月23日)のページより。http://www.y-asakawa.com/Message2015-2/15-message192.htmまたも浮き彫りにされた中国の実体20日に発生した中国広東省深圳市の工業団地内で発生した大規模な土砂崩れ事故。日本のマスコミも連日のように

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【現代語訳】自分の苦しみや辱めは、諦めて耐え忍ばなければならないが、人の苦境はけっして見過ごしてならない。自分のことは差し置いて、全力で救いの手を差し伸べなければならない。【原文】人の過誤は宜しく恕(ゆる)すべきも、而も己に在りては則ち恕す

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【現代語訳】失敗の責任は共有すべきだが、成功の報酬は人に譲ったほうがよい。それまで共有しようとすれば、必ず仲違いが生じる。苦しみは共有すべきだが、楽しみは人に譲ったほうがよい。それまで共有しようとすれば、ついには憎み合うようになる。【原文】

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【現代語訳】才能を内に秘めながら無能をよそおい、明察でありながら知恵をひけらかさず、濁流に身を置きながら清廉を保ち、身を屈して将来の飛躍に備える。このような態度こそ、「中流の一壷(いっこ)」や「狡兎三窟(こうとさんくつ)」の教えにかなう処世

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【現代語訳】たえず不愉快な忠告を耳にし、思いどおりにならない出来事を抱えていてこそ、自分を向上させることができる。耳に快いことばかり聞かされ、思いどおりになることばかり起こっていたら、どうなるか。自分の人生をわざわざ毒びたしにしているような

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【現代語訳】身分不相応な幸運や正当な理由のない授かりものは、神様が人を釣り上げる甘い餌か、あるいは人の世の落し穴だ。このような場合、よほど目の付けどころが高くないと、その術中にはまらずにはすまない。【原文】分にあらざるの福、故なきの獲(えも

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「いつまでもあると思うな親と金」といいますが、この度,大病をして、「いつまでもあると思うなこの命」ということを実感しました。人生の晩年になって、思いがけない腎盂ガン、そして、右腎臓摘出という大手術 !!人生、何が起きても不思議ではないと心底

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【現代語訳】狭い小道では、他人に一歩を譲り、美味しい物は腹七分で満足して三分を他人に分け与えるのが、世の中を楽に楽しく生きて行く秘密の方法である。つまり、これこそが謙譲の美徳と現世利益なのだ。 言い換えれば、足るを知り、足るを知らしめよ、と

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奈落に向かう中国経済
2015年12月13日22:31

浅川嘉富氏(2015年12月13日)のページより。http://www.y-asakawa.com/Message2015-2/15-message192.htmより怖いチャイナリスク中国経済の悪化が鮮明化してから1年になろうとしているが、年末に向かって一段と厳しさを増してきているようである。 収益が落

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小生、一生に一度の大手術を経験して、ふと、篠田桃紅氏の心境を知りたくなりました。以下、篠田桃紅「103歳になってわかったこと」より。百歳はこの世の治外法権私も数えで103歳になりました。この歳まで生きていると、いろんなところで少しずつ機能が衰えま

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小生、一生に一度の大手術を経験して、ふと、篠田桃紅氏の心境を知りたくなりました。以下、篠田桃紅「103歳になってわかったこと」より。私には死生観がありませんこれまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。死を意識して生きたこともありません。

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87歳という晩年になって、大きな体験をしました。人生何が起るかもしれない。だから、面白い。だから、今を、生きなければならい。だから、やり残しのない人生でありたい。中国の古典に曰く。「末路晩年、君子まさに精神百倍すべし」。

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昨日退院しました
2015年12月06日12:36

人生、何があっても不思議ではない、晩年になって本当に大きな体験をしました。11月25日、関西医大付属病院に腎盂ガンで入院、昨12月5日、11日目に退院しました。26日、午前9時より右腎臓と尿管摘出手術が始まり6時間後の午後3時に終了、そのまま集中治療室へ

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