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2020年09月11日11:47

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女性百寿者の健康長寿者名言・・・・2・


島津久子さん 106歳(1898年08月08日〜2005年5月15日)
 
昭和天皇の五女貴子さんの義母。山階鳥類研究所理事長島津久永さんの母。保護司として長く活動し、日本更生保護女性連盟名誉会長。エッセイストとしても知られ、著書に「梅のしるしと」「星に花に愛」「深山に白く」などがある。

『老いて輝く。60代までは修業、70代でデビュー、百歳現役』

女流画家の第一人者である。70歳代で『径』『舞妓』『姉妹』などの代表作を発表、八十代で『天武天皇』などの歴史肖像画の代表作を制作した。
50代はまさに画家としての基礎体力作り、精進に費やした日々であり、自身、人生で最も充実したのは70歳代であり、80代でも衰えることがなかった。
情熱さえあればれば年齢の壁など乗り越えられることを身をもって示した。
90代半ばで体調を崩してから、絵筆を執らなくなった。居間に座ってぼんやり庭を眺める日々。ある日、ハッと気づいた。「梅は何ひとつ怠けないで、一生懸命生きている。私も怠けていてはいけない」と、百一歳で再び絵筆を握った。
それからは身近にある花木や果物を好んで描くようになる。「物みな仏」であり、自分は生かされているという謙虚な気持ちを片時も忘れなかった。普通に生きることの難しさを知ってから、普通に生き完美しきや素晴らしさがしみじみと描けるようになったのである。
「何も持たぬと嘆く人でも、天地の恵みは項戴しているではないか」

89歳の時に「生きているっていうことは、昨日の自分に一歩つけ加えて、今日は何か一つ新しいものがなくちゃならないと思う。だから、勉強は怠れないですね。こっちの目、レンズが死んだら駄目です。いつも磨いておかないと」(『小倉遊亀画室のうちそと』読売新聞社/小川津娘子共著)

「絵は一生の大事業である。思いつきや、面白さだけで出来るものではない。片時も心をはずすなである。時間を大切にしなくちゃプロにはなれない」(1973年某月某日、日記)(『画室の中から 続』中央公論美術出版)。
「生きるということは、人さまのために己れを捨てることである。つまり、没我の精神とは愛にはかならない。生きるとは愛の実行にはかならない」(同書)


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