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2019年02月17日10:25

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「日本国紀」第6章 江戸時代



江戸幕府/三代将軍・家光/江戸幕府の政治体制/鎖国/江戸時代の身分制度/武断政治から文治政治へ/花開く元禄文化/ケインズを200年以上も先取りした萩原重秀/世界最高の教育水準/赤穂事件/豪商の出現/街道の整備/都市の発展/江戸の食文化/「五公五民」の嘘と「百姓一揆」の真実/家宣から家継、そして吉宗へ/傑物、田沼意次/寛政の改革/一国平和主義の日本/次々に押し寄せる異国船/右往左往する幕府/シーボルト事件と蛮社の獄/内憂外患、揺れる日本/黒船前夜/黒船来航


<はじめに>
江戸時代はある意味で日本の近代といえる。
唯物史観の歴史家の中には、江戸時代を「前近代的な文化の遅れた時代」であるかのように
とらえる者がいるが、決してそうではない。

江戸時代は、百年続いた戦乱の時代が終わり、社会制度が急速に整い、国家秩序が安定した。世界に先駆けて貨幣経済が発達し、豊かになった庶民による文化が花開いた。徳川幕府の統治が安定していた約260年間は、大きな戦争は一度もなく、日本の歴史上、最も平和で治安のよかった時代であったともいえる。

同時代のヨーロッパ諸国と比べても、民度も知的レベルもともに高く、街は清潔で、疫病の発生もほとんどなかった(ヨーロッパはその不潔さが原因で、何度も疫病が大発生し大量の支社を出していいる)。

ただ、鎖国政策によって外国からの科学技術の流入がなかったため、テクノロジーの分野で後れを取ったのは事実である。

また国内の安定を重んじて変化を恐れたため、江戸時代の後半になると、社会の様々な制度に、硬直した考え方による弊害が生じた。そのために幕末に大きな混乱が生まれることになる。




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