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2015年10月12日09:17

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言志録25「名を求めるも 避けるも非」



【現代語訳】
実力がないのに名誉を求めるのは邪心である。だが、当然受けるべき名誉を避けるのも邪心である。

【原文】
名を求むるに心有あるは、固(もと)より非なり。名を避さくるに心有るもまた非なり。 (言志録 第25条)


【解説1】
元関西電力会長の葦原義重は、勲一等を授与されたとき、受けるべきか断るべきかと悩んだ。「大人のワッペン」など欲しくない。だが、断れば、いままでもらった連中への当てこすりになる。このとき「言志四録」のこの条を見て、「名を求める」のも「名を避さくる」も、ともに私心、ならばと恬淡たる気持で、素直に受け取ったという。
・・・・・以上、岬龍一郎「現代語抄訳・言志四録」より。

【解説2】
一斉先生の門下生であった佐久間象山に次のような詩がある。
謗る(そしる)者は 汝の謗るに任す。
嗤(わら)う者は 汝の嗤うに任す。
天公、本、我を知る 。
他人の知るを求めず。

意味は以下。「そしる者はそしるままにしておこう、笑う者は笑いたいままに任せよう。天が本当の私を知っている。他人の理解を求めようとは思わない」。
この詩から、象山は大変はげしい性格の人ということが推察される。
・・・・・以上、川上正光「言志四録」より。

【解説3】
「名」=名声・評判・肩書等は、一応は誰しも気にするものであるが、このことについて一斉の所見である。
少しく心ある人ならば「名を求むるに心有あるは、固(もと)より非なり」はわかることである。しかし、だからといって、二言目には「わたしがこうしてやっているのは、金や名誉のためではありません」などというのもきざなものである。こういう人は、腹の中では「あの人は名を求めない人だ」という名を求めているからではないか。「名を避さくるに心あるもまた非なり」である。
・・・・・以上、菅原兵治「佐藤一斉の言葉」より。

【解説4】
地位や名声を求めることなく、ただ己を磨け、と一斎先生は言います。
人は誰でも、大なり小なり、今より高いポジションに就きたい、人に知られたいという気持ちを心の中に隠し持っているのではないでしょうか。
しかし、そうした地位や名声というものは、求めて手に入るものではないようです。
これは小生の師匠の言葉ですが、努力した人には次のステージが迎えに来てくれるのだそうです。
つまり、今目の前にある課題から逃げずに真正面から取り組み、手を抜かずに、自分のできる精一杯を尽くしていれば、地位や名声が迎えに来てくれるのだということでしょう。
かといって無理に地位や名声を避けるのも宜しくないのだと一斎先生は言います。
来るものは拒まず、去るものは追わない。
地位や名声に執着することなく、ただ淡々と一歩ずつ足を踏み出していきたい。
48歳にして、今ようやく小生もそんな心境にたどり着いたようです。 .
・・・・「一日一斎『言志四録』を味わう」
http://confucianism.blog.jp/archives/2015-03-09.html





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