清水榮一「中村天風に学ぶ絶対積極の言葉」より。
たとえ
身に病があっても、
心まで病ますまい。
たとえ、
運命に非なるものがあっても、
心まで病ますまい。
ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724―1804)は、生涯、医者も驚くほど多くの持病があった。遂に主治医は匙を投げた形でこう言った。
「これだけ色々な病気を持っておれば、いちいち病気を治すことを考えずに、いかに病気であってもそれを克服して生きる勇気を、神が与えて下さったことに感謝して生きて下さい」。
その後、カントは『純粋理性批判』や『道徳形而上学入門』など不朽の業績を残した。
そしてカントは80歳で息を引き取るとき、病身で過ごした自分の身を振り返って、
「私は、生来、病弱の身でした。だけど、こんなに色んな病を身に持ちながら、哲学者として生涯を生き続ける勇気を与えてくださったことを神に感謝します」と言った。
たしかに病と病気は違う。病は身体の故障である。故障は本来の正常な働きが損なわれているのだから、本来の正常な姿に戻すように治療することが先決。それを“気”すなわち心まで病ますなということだ。
患者自身が是非元気になるんだという強い願望がなければ、どんな名医だって、その患者の病を治すことは出来ないという。
運命においても同じことがいえる。
運命は自分の命を自分が運ぶことをいう。不運だといわれた人が、むしろ幸せに生きている場合があるではないか。
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