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2015年07月24日21:31

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中村天風「進んで負えば重荷も軽し」



清水榮一「中村天風に学ぶ絶対積極の言葉」より。

進んで負えば重荷も軽し、
いやいや持ちゃ、
半紙一枚だって重荷になる。



「おお、もう昼か」。夢中になって仕事をしていると、午前中の三時間も、思いがけず早く時間が経つものだ。同じ仕事でも、いやいや取り組むと、ダラダラとした作業となり「まだ、こんな時間かあ――」となる。仕事をするのか作業をするのか。

あるテレビ局の女子アナが、本番でしくじった。とんでもないことをしてしまったのだ。

結局、左遷させられた。単なる閑な事務員となり、毎日お茶汲みをすることが多くなった。希望もなく、いやいやながらのお茶汲みは、身も心も疲れるものだった。

ある日、自分のしていることが、自動給茶器とたいして変らぬことに気がついた。これでは自分のプライドが許さない。彼女は考えた。「私は私、かけがえのない私」果たしてどうしたものか。

「どうせ、この私がやる以上は、他人のまねのできないうんとおいしいお茶をいれたい」。

美味しいお茶の条件といえば、先ずお茶の葉だ。限られたコストで、おいしいお茶の葉を手に入れるために、何軒かのお茶屋さんを歩いた。

勉強もした。日本の緑茶が意外に日本の文化に支えられた深いものであることも知った。

再三、値段の交渉もした。同じコストで、予想以上によいお茶の葉を手に入れることが出来た。

このお茶の葉で最高の味を出すために何が必要か。彼女は次々に考えた。

オフイスの来客にお茶を出す。何時もの調子でお客は、商談をしながら何気なく茶碗を手に取る。一口飲む。瞬間、目をみはる。
「うん、おいしいですね、このお茶」。

心を和ませたお客の笑顔。彼女のイメージはふくらんでいく。この調子で、職場の、皆にも飲んでもらおう。彼女の目は輝いた。まず湯加減から工夫した。茶器の扱いもつい心がこもった。

やがて、社外からも評判が立った。同業の社長同士の会合の中の雑談で、このおいしいお茶が話題となった。どこの会社でも出すありきたりで事務的なものとはまったく違う。

日頃、お茶の味に関心のない人でも、ハッと気づかせてくれる茶のうま味。―ほんとうは、お茶を入れる人の心のうま味なのかもしれない。

数ヵ月後、彼女は抜擢されて昇格の形で元の職場に戻った。

仕事というのは、最小限でも、何のためにという目的、ねらいがはっきりして、プラン(段取り)、ドウ(行動)、シー(反省、評価)という自己配慮の要素をもつものだ。

作業は、言われたことだけをすればいい。体を動かして決められた通りにこなしていくだけだ。使役としての要素をもつ。従って仕方なしに嫌々やることが多い。

仕事は「私が為(し)ている」という積極的能動的な絶対感覚の自覚がある。当然、責任をもつ。

しかし作業は「させられている」という、他人によって動かされているという消極的受動的な相対感覚のため、身が入らない。そこにはいつでも責任転嫁への逃げ道がある。このままなら飼い主に命じられて動く犬のようなものだ。

どんな些細のことも、たとえそれが腰掛け的なものであれ、作業であっても、自分が取り扱う以上は、自分のものとして、自分の存在の誇りを賭け、使命感をもって自分の仕事して取り組むことだ。

自分の仕事として取り組むか、作業として取り組むか。作業には、その都度、片付けたという開放感はあるが、仕事には、自己実現を伴う達成感がある。

自己実現とは、自分の取り組む仕事をして、「やれた、やったぞ !!」という自己発見、自己拡大、自己充実からくる自己成長への生きがいを実感することだ。

このため、自分のものとして自分から進んで受け止めた仕事は、疲れることがない。みずみずしい自分との出合いと発見があるのだ。ますます活き活き溌剌颯爽たるものとなる。

ところが、嫌々仕事をすれば、自分以外のものによって使役させらている自分の肉体疲労からついには心労となり、心身のバランスを失ってしまう。

古歌に言う。
「わが物と思えば軽し傘の雪」。



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