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2015年07月22日18:43

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中村天風「真黒なコップの水も・・・」



清水榮一「中村天風に学ぶ絶対積極の言葉」より。

筆を洗った真黒なコップの水も、
水道の蛇口のところに置いて、
ポタリポタリと水を落とせば、
一晩のうちにきりいになってしまう。



夜、寝ているときに母の声がした。低く抑えるような優しい声だったので、目を開けなかった。

「お前は努力家だから、いまに算数が好きになる。お前はタイキバンセイだよ」。
私の枕元で私に言っているのだった。今までも、母はずっと続けていたのかもしれないが、それ以降は時々寝たふりをして母のひそかな声を聞くのが楽しみになった。

小学一年の時から、私は算数が苦手だった。あまりの不出来に、母は心配してあちこちの家庭教師をつれてきたが効果はなかった。

一度だけ、風呂場でタライに泡をいっぱい立てて洗濯していた母に、割り算の仕方を教わった。

今までだれに聞いてもわからなかったのに、母に教わったときは、びっくりするほどよくわかった。この時ほど母を尊敬したことはなかった。

夢か現(うつ)つか、毎夜聞く母の暗示の声は、子守歌のように心に染みた。その頃から、私の体の中には、努力家と算数とタイキバンセイという三つの言葉が滲み込んでいった。

中学生になって、初めて辞書を買ってもらった時、早速「タイキバンセイ」という言葉をひいた。「大器晩成」ということだった。こんなボクでも大人物になれるのかと思った。

母はよく「コツコツ」という言葉を私に言った。「コツコツ勉強するんだよ」、
「コツコツでいいからね。焦らないこと」、「コツコツ努力すればいい」。

そのときから、コツコツやり続ければ、母の望む人間になれるのだと思った。算数はなかなか思うようにはいかなかった。

しかしいつも、算数だけはわかってもわからなくても、コツコツと親しむことにした。高校生の時、気がついたら数学は、特に微分積分や立体幾何学などの試験は、全学年の中で一番の成績となった。それを自覚したとき、私は私自身の性格も変ったような気がした。

平安中期の書家・小野道風(おののとうふう)は、垂れ下がった柳の枝に、一匹の雨蛙が飛びかかろうとして、何度も何度も試しているのを見た。

何度やってもうかくいかない、しかし雨蛙はくり返しくり返し飛びかかっている。雨の中、傘をさして小野道風は釘づけのようになってその雨蛙を見ていた。

やがてやっと飛び着いた。枝が大きく揺れた。しかし雨蛙はしっかと枝にしがみついていた。

それを見て、彼はあきらめかけていた書に励み、遂には大家となり、平安三蹟の一人として名を残すことになった。

欧米の諺に「習慣は第二の天性」という言葉がある。

性格は習慣によって磨くことも変えることもできる。三日天下ならだれでも出来る。「継続は力なり」で、少しずつでも、コツコツと努力する習慣を重ねれば、いつかはきっと、小野道風のように、「ありたい自分」に飛びつくことが出来る。




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