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2015年02月28日18:46

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天、我が材を生ず、必ず用あり


李白(701―762)といえば中国、盛唐の詩人であり、中国最大の詩人の1人です。
以下、天を信じる李白について、ひすいこたろう+ひたかみひろ「シアワセの取説」より、抜粋、要約します。

李白は究極の自由人です。
何しろ、当時の皇帝に呼ばれて、酔っ払ったまま参内したとか、湖に映った月を取ろうとして溺れたというエピソードを残しています。

しかし一方、以外と繊細な詩も残している。
李白の詩の中で、僕の座右の銘となっている言葉はこれです。

「天、我が材を生ず、必ず用あり」+

訳すと「天は自分の才能を見込んでこの世に送り出してくれた。
いつか必ず社会の役に立つためなのだ」というもの。

ちょっと見ると、自分の才能に自信を持っているなぁと思われがちですが、でも、実はそうではないと思う。

「自分は本当に生きている意味があるのだろうか?」
「自分は何のために生まれたんだろうか?」と自問自答しているからこそ、導き出された言葉のように僕には感じられます。

豪放磊落のように見えて、実はすごく繊細で、自分の存在意義をかろうじて見つけ出していたと思えるのです。

あなたにも、生きる意味を見出せなくなることがあるかもしれません。でも、李白でさえあったのです。

さらに、あなたという種をこの地球に植えたのは天です。
天の種の特徴、それは、必ず、芽吹く。
そのときが来るということです。
春が来れば必ず桜が咲くように、あなたにとって最高のタイミングで花開きます。
(以上)


人がこの世に存在する限り、天は必ずその人に個性とその人特有の才能を与えています。
そして、天を信じ、人のため、世のために地道に努力するとき、必ず美しくすばらしい花を咲かせます。

どんな花が咲くのでしょうか?
それは咲くまでのお楽しみにしておきましょう。

★参考:李白(701―762)、中国、盛唐の詩人。中国最大の詩人の1人と言われる。



「天、我が材を生ず、必ず用あり」 (天は自分の才能を見込んでこの世に送り出してくれた。いつか必ず社会の役に立つためなのだ)。

このことを読んで、佐藤一斎「言志四録」(講談社文庫)にもまったく同じことを言ってるなぁ、人生の実相を見抜く人の言葉はすべて同じだなぁと確信しました。
以下、ご参照願います。

人は須らく自ら省察すべし。
「天 何の故にか我が身を生み出し、
我をして果たして何の用に供せしむる。
我 既に天の物なれば、必ず天の役有り。
天の役供せずんば、天咎必ず至らむ」

省察して此に到れば、則ち我が身の苟(いやし)くも生くべからざるを知らむ。


【訳文】
人間は誰でも、次のことを反省し考察してみる必要がある。
「天はなぜ自分をこの世に生み出し、何の用をさせようとするのか。
 自分は天(神)の物であるから、必ず天職がある。
この天職を果たさなければ、天罰を必ず受ける」と。

ここまで反省、考察してくると、
自分はただうかうかとこの世に生きているだけではすまされないことがわかる。

【参考】
天命を知るということは大変難しいことである。
「自分が生きているのではない。生かされているのである」ということをさとること、これがわかれば立派な人である。

加藤咄堂氏は古人の言として、「君子、一日生きれば一日世に利あり」の語を引いている。
また、吉田松陰は「一日世に在れば、一日為すあり」といった。
何のために生きるのかということは、「人さまのために尽くすためだ」ということの一語に尽きるだろう。


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