祖母は日立空襲・艦砲射撃を経験した一人
当時日立にある電線工場で勤務していて
一トン爆弾も近くで落ちてすり鉢状になった地面を見た事があるということ
空襲で落ちた爆弾の鉄を材料にして生活をしないと
生きていけない時代だったと言う
いま96歳だけれど当時は
青春時代が戦争だったのではっきり覚えているという
田舎の学校の先生は近くの家に下宿したりしていた時代
。当時祖母の実家にも学校の先生が下宿していて、近くの学校で教鞭とられていたと言う。戦争のなか大変苦労されていたのではないかと思う
10年ほど前に祖母を連れてその先生にお会いして来たことがある。短い時間お会いしただけで思い出したことは沢山あったのだろう。
戦争は人の力によっておこされる。
人が成長しないといけない。
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