魂の不自由さを感じる瞬間。
実際のところ、それが目に見える形ではないからこそ、わかりやすい疲弊感ではなく、じわじわ吸い取られていくような違和感が残る。
私生活も仕事も充足しているとは言い難いが、誰かと比べてのそれではなく、理想として描く自分のビジョンと現実の隔たりから来る落胆は、自分でなんとかするしかない。
バカバカしくもわかりやすい自己責任論の流布には吐き気を覚えるが、自分の責任に於いての成功も失敗も誰のせいではないから、それはそれなりにありがたい。
欲求は目眩の最中で迷子になってしまい、三大欲求のどれもかれも満たせない有様で、じゃあ何を楽しみに生きていけば良いのかと思案するものの、ぼーっと生きているんじゃねーよとか、ちびすけに叱られたがる大人が多い中ではわからないことをわからないなりに考えていけることは幸せであるなとひとりごちた。
誰かに指示されての生き方はつまんないように思う。
言われて気付いて、じゃあ自分なりに歩いてみようとするのと、言われたことをそのままやるのでは別だから。
とか、眠れない夜にメリーもドリーも数えるのが面倒で、つらつらと、どうでもいいことを浮かべては沈める。何歳になってもこうなら、安西先生にまるで成長していないとか言われてしまうんだろう。
それもまた色彩。重い気持ちも、高い空も、それぞれの色。
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