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2019年08月25日17:58

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和装イイネ

陸自音楽隊 露軍楽祭で初演奏
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5760467

こういう記事を読むと、「国家」と「国民」を同一視してはならんと、つくづく思う。

歴史上、個人レベルでは何の恨みも憎しみもなくても、国家間の戦争は起こった。このことから、国家には1個の生物のような性質があると思える。国民一人一人と国家には、細胞ひとつと生物全体のような関係があるんじゃないかな。

国家としてのモーメントが、個々人に使命感や憎悪感情を持たせることもある。「トップダウン」やね。トップダウンと言っても、君主とか独裁者がトップというわけではなく、政治家や財界有力者、宗教指導者らの、それぞれの立場での行動の総合が、結果として1個の生物の行動に似る、という捉え方で、有力者とて「細胞」であることに変わりはない。

一方で、国民の欲求や感情が集積して国家全体の動きになる、「ボトムアップ」の場合もあっただろうな。こっちは民主的と言えば民主的だが、国家の動きとしては、往々にして「暴走」になる。

そう考えると、国家の中枢にある人達には、個々の「細胞」の幸福を損なわないように全体の安定的存続と繁栄を確保し、また暴走を回避するという、相当に微妙で困難な舵取りをしてもらわねばならん。大変だわ。

で、記事のような交流は、「細胞レベル」の安寧の重要性を忘れないようにする意義があると思う。国家の要件である「国民と国土と主権」のうちの国民。

人類が、国土あるいは主権を守るために国民の一部が犠牲になる、という図式から脱却できるのはいつの日か...







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