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2018年08月17日12:21

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出雲と米子への旅;古代出雲王国とヤマト王権(前編)

夏休みを利用し出雲と米子への旅に出た。島根県の出雲市、鳥取県の米子市、そのあいだすべて陸路で旅をした。
京都市の古い家系に生まれた大和民族でありつつ幼少期を海外の現地校に通って暮らした私は、かねてから古代出雲の国があったところへ行きたかった。理由はおいおい触れる。
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出雲には、かつて弥生時代にすでに強大な神権国家が存在した。
イズモの国は、当時の倭において屈指のかつ先進的な古代王国だったのである。

中華帝国による「漢書地理志」に「倭人有り。分れて百余国と為る」、あるいは「後漢書」や「魏志倭人伝」などには「倭国大乱」などと記述がある。
そもそも日本史のはじまりは今のような単一民族がのさばる状態ですらなく、氷河時代において中国大陸や朝鮮半島からはもちろん、南からは東南アジア=ポリネシア系、北からはシベリア系も入っていたという。そんな彼らが渾然一体となったのが、日本の先住民たる縄文人。
そこへあとからやってきた弥生人のルーツは、すでに文明化がすすんでいた大陸王朝が交代するときその戦乱を避けるべく倭へ逃げてきた、いわば難民。彼らが倭へやってきたのは、殷から周に代わる時、あるいは春秋戦国時代。おそらく繰り返し大陸から進んだ農業や技術をもった人々がやってきて、日本全土へ拡散し弥生人となりやがてムラやクニをつくっていった。
そのようにしてかつての倭は多くのクニ(clan、ただし後の幕藩体制における「藩」も clan と呼ぶことがあるので注意)が群雄割拠し、おのおのの地域にて独自の文化が栄え多彩な国々に分かれていた。のちの朝廷となって統一をはたすヤマト王権(Yamato Clan)といえど、はじめは奈良盆地の一角をしめる一地方豪族に過ぎなかった。
これが前述の中華帝国に記されたころの倭のすがた。

その中にあってイズモには弥生時代からすでに強大な国家(Izumo Clan)があり、大陸の先進国たちと盛んに貿易し、青銅器文化だった倭にあっていちはやく鉄器を導入するなど、まさに古代の倭においては先進国であり大国であった。
その中核範囲は島根県東部から鳥取県西部、おもに出雲市から米子市にまでまたがる。

島根半島から遠望する大山(だいせん)の峰々。イズモの人々もこの眺めを見たであろう。変わりやすい山の天気のせいか「八雲立つ」という出雲にかかる枕詞のとおり、雲が幾重にもかさなる。
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イズモには弥生時代にもかかわらずすでに多数の古墳があり、ただし古墳時代よりも古いという理由で「古墳」という名称をつけさせてもらえず「墳丘墓」と呼ばれる、言ってみれば「弥生式土器」ならぬ「弥生式古墳」のようなもの。
イズモの墳丘墓は、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがた・ふんきゅうぼ)という、独自の様式。これは方形の墳丘に、四隅がヒトデの足のように伸びた形状もの。
このかたちの墳丘墓はイズモにて多々あるばかりかさらには遠く北陸は福井や富山にまで散在していることから、イズモが日本海貿易を通していかに大きく遠大なる勢力範囲を誇っていたかがうかがえる。

出雲大社のとなりにある、古代出雲歴史博物館の展示から墳丘墓のかたちと分布図。
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出雲市西谷3号墓の再現模型。
40 × 30m、高さ 4.5m もあった。日本最大規模の四隅突出型墳丘墓。
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下の写真は、鳥取県米子市・妻木晩田遺跡(むきばんだ)にある実際の四隅突出型墳丘墓のひとつ。
1〜2メートル四方くらい、コタツくらいのサイズでおそらく子供を葬ったと思われる。
この地区には、大きめの墳丘墓の周りにこのような小さな墳丘墓が寄りそうように複数あり、これらは有力者の親子を葬ったのかもしれない。古代人の死者はもちろん子供をかわいがる思いやりにふれることができる。
紀元1世紀後半のものとされる。
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なおこの地区は高台にあり、日本海へむけての眺望がすばらしい。
美保湾、弓ヶ浜、その奥にかすんでかろうじて見えるのは島根半島の小山脈。
手前に大きめの四隅突出型墳丘墓や方形墓などが見える。
死者を眺めのいい場所に葬る、そのいつくしみをしのぶ。
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反対側へ行くと弥生の集落が復元されている。中も復元されており自由に出入りできる。建設途上の住居を復元したものもある。
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さらにイズモでは日本で最も多く弥生時代の鉄器が出土。
鉄器の素材は、大陸から九州北部を経由したものと直接に大陸から輸入したものとがある。
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当時、倭人にはまだ鉄を完全に溶かして鋳型に流し込む技術がなく、小さな鉄板のような鉄素材を大陸からもらいそれを熱でやわらかくし、曲がりやすくなったところへ鍛冶屋のように叩き伸ばすことで農機具や木工加工するための道具をつくっていた。加熱するためのフイゴにはタヌキの毛皮でつくった空気袋が利用されていたらしい。
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出雲大社のとなりにある古代出雲歴史博物館にある、荒神谷遺跡から出土した膨大な数の銅剣・銅矛、その壮大な展示に圧倒される。
ほんものだけがもつ迫力。
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下の段が、ほんとうに出土したもの。
上の段は、再現してつくった新品ぴかぴかのもの。
これらはすべて、軍事目的ではなく祭祀のためのもの。

下の段にならぶ、ほんとうに出土した剣や矛の数々。
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同博物館には、加茂岩倉遺跡からまとまって出てきたおびただしい数の銅鐸たちの展示もあり、四方から仔細に観察できる。再現した銅鐸を鳴らしてかん高い鐘の金属音を聴くことも可能。江戸時代に火事を告げた半鐘にも似た音色。
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銅鐸に人物や動物や文様などが描かれてあるのはいくらでも見てきたが、顔が描いてあるのははじめて見た。
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なお、銅剣や銅鐸は大陸にも存在はしたが、こんなにも大きくなったのは倭のものだけ。
大陸では小さいサイズのものしか存在せず、銅鐸にいたっては下の写真の真ん中にある、小さな鈴でしかない。
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イズモの地は海と山とが近く、今なら大山から日本海岸まで、クルマで 30 分もあれば楽勝で着く。弥生時代、イズモの人々はゼンマイや春の七草に出てくる山菜はもちろん、タコやアワビにカキ、ボラやスズキやマグロにいたるまで海の幸も豊富に食事に並び、グルメな生活を送っていたらしい。むろんすでに稲作は行っており、そこかしこに高床式倉庫が立ち並んでいた。
今でも、破格に大きな天然ガキなどが安価で食べられる。もぅ、めっさ美味!
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また当時は内陸まで海が入り込み入江や小島が散在し、そのため良港が多く小さな瀬戸内海のような様相を呈していたらしい。そのせいか内陸からも貝塚が出土し、ローカルな地名にも「なぎら」や「舟つなぎの松」といった航海に由来するものが散見される。
世界遺産になった九州の宗像神社とも関係が深い宗形神社もあり、漢字こそちがえど読みは同じ「むなかた」であり、おそらくイズモ人は航海を得意とする海洋系の民「海人」だったのではないかとも言われる。

米子市には粟島神社(あわしま)という、かつては海に浮かぶ小島であった丘のてっぺんにスクナビコナをまつる小さな神社もある。
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スクナビコナは一寸法師のようなちいさな神様で、医療、薬草、温泉、湯治、酒造、穀物などの知識を持ち、イズモをおさめた神オオクニヌシとともにイズモのクニを繁栄させたのち、この粟島神社にてたわわに実がみのった粟の穂によじのぼり、そのたわむ力でもって「びよーん」と常世の国へ、つまり死後の世へと旅立っていったという。
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なるほど、社務所にかかげられている紋章は粟の穂。
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またこの丘のふもとには八百比丘尼(やおびくに、はっぴゃくびくに)が住んでいたとされる洞窟もあり、やはり聖域として祀られている。八百比丘尼とは、あやまって人魚の肉を食べてしまった 18 歳の女の子がそのままの姿で不老長寿となってしまい、八百年間にわたって生きたという伝説。不変の自分の周囲で流転しつづける世をはかなみ最後は餓死の道を選んだという。

なお、この丘そのものは流紋岩で形成されているが決して火山ではなく、浸食によって取り残された孤立峰。
しかもこの丘だけが、この一帯ではめずらしい照葉樹林であり、かつ手つかずの原始林につき丘全体が「粟嶋神社社叢」として鳥取県の天然記念物にも指定されている。

今では島々は丘になり、入江は幅広い谷となってきわめてゆるやかな傾斜の棚田となっている。


このようにイズモは海の幸、山の幸にもめぐまれる豊かな地域であり、良港にめぐまれ大陸とも大いに交易し、特に漢が朝鮮半島に築いた植民地たる楽浪郡と交易し、環日本海文化圏の中にあって輝いていた。
今でこそ、山陰という名のせいか新幹線も通らず人口も減るばかりで過疎化が進む、中国山地の山かげの地方というイメージがつきまとうが、古代では山かげどころか山陰地方こそが日本の表玄関だったのであり、中華帝国や朝鮮の諸王朝とも交易する倭の中にあって先進国だったのである。

豊かなりし庶民の暮らし。

そしてオオクニヌシとは大国主、文字通り偉大な国主であり、また大国の主だったことでしょう。


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いっつも思うけど、勾玉って日本オリジナルなデザインでしかも独創的でユニークで、なかなかおしゃれやんね。
出雲で制作された玉は花仙山から産出した碧玉を使っており、文字通り日本列島全体に供給、流通していたらしい。まさに古代日本を席巻するイズモ・モードか。
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この繁栄ぶりに目をつけたのが、ヤマト王権である。
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(後編へと続く↓)
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