80年代中盤に土屋斗紀雄さんが書いてたと思ったのだけど、実写とアニメについて。
※勝手な補足解釈が入ってます。
その両方で脚本を書いてるものとして違いは? とか向き不向きは? とかなると。
「スケバン刑事」
こんな荒唐無稽なものはマンガじゃなければ……と思われそうだけど例えば「17年間、鉄仮面をかぶせられたまま生きてきた少女」。
これをアニメで凝った設定やデザインにしたところで、どうにも嘘っぽい。説得力がない。
ところが東映で新人女優に鉄仮面をかぶせて生身の役者に「この娘は17年間、生きてきたんです」と言わせると納得させられてしまう。「あぁ、そうなのか」「この作品世界ではそうなんだ」と思わせられるのは生身の役者の存在感。カメラの前にそういう者が存在しているのだから。
「タッチ」
子供達に手がかかるので、2軒の真ん中に子供部屋を作りました……まではわかる。が、
その後、10年たって中学生、高校生となっても男の子と女の子がその部屋の中で過ごしています……いやいや、それはないだろう。一般的な親としては。
そこで原作コミックとは別物の性的な匂いが出てしまう。
まして、メインキャストに起用されるような新人や若手……事実無根であろうと誰かが「深夜の密会」「お泊り」などと週刊誌の見出しになったり、ダイタンなグラビアやインタビューでポロッと発言した一言からも一般視聴者から「あぁ、こんな顔して実は」というイメージで見られてしまうことを想定しても実写ドラマよりTVアニメの方が適している。
というのからすると、やや非現実的なものが実写向きで、ほぼスタジオや通常ロケで撮影できそうな日常モノの方がアニメ向きだったりするということになる。
というのがセオリーなのか? となれば「ど根性ガエル」も「ぬ〜べ〜」も、もうちょっと好評の声が強くて良かろうものなのだし、「進撃の巨人なんて、アニメで巨人を描いても出オチ! 特撮なら圧倒的な説得力あるのに」と言われべきところなので、あくまでも一説、イチ見解というところか。
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