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2019年08月13日18:17

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終戦記念日を前に

もうすぐ終戦記念日。

米との開戦を避けようと努力された昭和天皇のご尽力虚しく開戦・・・
これで陛下が戦犯となり処刑されてたら、当時の軍部、ますます許せない。

たまたまマッカーサーが寛容だったからよかったものの、
「勝った側のセレモニーとして敗者の代表格として天皇も殺しておこう」
ってなる可能性はかなりあったのだから。

その1、「よもの海 みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらん」
1941年9月6日に開かれた「御前会議」での昭和天皇。開戦か否かを話し合う重要な会議で、異例にも歌を読みました。「よもの海 みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらん」(四方の海は みな兄弟だと思っているのに なぜ余計な波が騒がしくなるのだろう) 日露戦争の開戦にあたり、明治天皇が戦争回避の願いを込めて詠んだという歌でした。戦争を避けよというメッセージを、日本の指導者たちに暗に伝えたにもかかわらず、開戦に向かう現実。のちに300万もの死者を出すことになるとは、あの会議に出席していた誰も予想できなかったのでしょうか。


その2、支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか。
もし日米開戦となった場合、どのくらいで作戦を完遂する見込みか?」と対米戦争の成算を昭和天皇に問われた参謀総長の杉山は「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます」と楽観的な回答をする。これに対して天皇は「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか」と語気荒く問いつめた。答えに窮した杉山が「支那は奥地が広うございまして、予定通り作戦がいかなかったのであります」と言い訳すると、天皇は「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか。いったいいかなる成算があって3ヵ月と言うのか?」と一喝し、杉山は言葉を失ったという

主なところでこんな感じ。ガキだった頃の私の
「皆、「天皇陛下万歳」って死んでいったのに陛下に罪は無いの?」に対しての
爺さん達の答えがこれらだった。
「あの戦争を止められなかったのを一番悔いてるのは陛下だよ」と
その陛下が靖国参拝を合祀以降やめ、次代の天皇がわざわざ合祀されてない
護国神社への参拝をしてる事実を自称愛国社共は少しは考えた方がいい。
そして、慰霊のために未だに足繁く激戦地へ赴かれていることもね。

渡部昇一の受け売りをドヤ顔で書いてる連中をみると正直、虫唾が走る。
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