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2013年03月01日00:03

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シレジウス

去年からの神秘主義の流れなのか
シレジウスと出会う。


「ドイツの浅原才一」
とも
「キリスト教の妙好人」
とでも
呼びたくなる。


「禅師」的なところもある


ユングの「精神現象としてのパラケルスス」を読んでいて出くわし、
シレジウス瞑想詩集「ケルビムのごとき旅人」上下巻を買って下巻が届いた。


どれも
俳句か短歌くらいの長さであり読みやすく
こころにの残りやすい。

そして
その
どれもこれも
読んでいてココロが
ぽかぽかしてくるのは
洋の東西を問わず
神秘主義の特徴だなあ。


まだ上巻は届いていないのですが、
下巻のうち上のような観点にあてはまるもので
常識から外れすぎていないものを選びました。
上巻はまた届いて気が向いたら書きたいです。


妙好人的浅原才一的なものをさがせば
先ほどのユングのものに出ていた

「神、われにまさることなく
 われ、神におとることなし」

を始めに

その他
「私が神を見る目は、
 神が私を見る目と同じである」


「あなたが神を求め、神の子でありたいと願う時、
 もうすでに、あなたの中に神はいて、
 あなたをわが子としている」


「至福は神であり、神は至福である」


「わたしがまだわたしになる以前、
 わたしは神の中で神であった」


「わたしが神から受け取っているのと同じように、
 神もわたしから受け取っている


「わたしはわれでもなんじでもない。
 あなたはわたしのなかでわれである。
 だから、わたしはあなたにただ心から感謝をささげるだけです」


金剛般若経のような
「神は無であり、がゆえに、すべてである」


また
あたかも禅者のようなものをさがせば

「薔薇は何故という、理由なしに咲いている。
 薔薇は咲くべくべく咲いている。
 薔薇は自分自身を気にしない。
 人が見ているかどうかも気にしない」


「あなたが天国に行くのではない。
 あなた自身が
 まず生きた天国になることである」


「不完全なものは何一つない。
 砂利はルビーと同じように完全であり
 蛙は天使セラフィムのように美しい」


「神を見ようと思うなら、感覚的に思い描いてはいけない。
 神を見ることは、われわれの内面にであって、外にではない」


「知れば知るほど、
 神がどのような存在かを
 一層言えなくなってしまう、と
 あなたは告白するようになるだろう」


結語
「友よ、もうこれで十分である。
 もっと読みたければ、赴いて、
 あなた自身が文字となり、本質となりなさい」



シレジウス。
何と日本語Wikipediaに項目がないんです。
シベリウスはあるのに。

シレジウス
シベリウス

ちょっと似ている。


■今日の昼散歩の写真。


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