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2020年01月20日00:28

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テーマは『罪を許す力』〜映画『記憶屋』の感想(2020年1月17日公開)

テーマは『罪を許す力』〜映画『記憶屋』の感想(2020年1月17日公開)


 座っている人物の嫌な記憶をすっかり消し去ることができるというのが、作品タイトルにもなっている記憶屋です。そんな話を聞いた主人公の遼一(山田涼介)は、それはただの都市伝説であり、現実的にはあり得ないと考えていました。
 しかし、恋人の恭子(芳根京子)が突然自分の記憶をなくしてしまう事態に遭遇して、身近な人間が記憶を消されたという現実に、記憶屋の存在を認めざるを得なくなります。しかもプロポーズした翌朝のことでしたから遼一にとって、あまりに衝撃的でうけとめきれない現実だったのです。
 もし恭子の記憶が記憶屋で消されたのだったら、元に戻せるかもしれないと一縷の望みを抱いた遼一は、大学の授業で知り合った弁護士の高原智秋(佐々木蔵之介)の協力も取り付けて、一緒に記憶屋探しを始めるのでした。実は高原にもある人の記憶を消して貰いたい事情があったのです。
 
 とまぁこんな感じで始まる話なんですが、遼一や高原が当初記憶屋の存在に懐疑的であったのに、途中から必至になって記憶屋探しを始めだす間の過程が唐突な印象を受けました。ふたりが記憶屋の存在について確信するには、もう少しエピソードを重ねた方がいいと思います。
 ただ本作のような空想作品は、あまり記憶屋というあり得ない存在を、くどくどと台詞で説明し出すと興ざめになります。どこかで力業でこうなんだと押し通す割り切り方も必要なので、その加減が難しいところですね。
 
 その点本作では、記憶屋というものはどういうものなのかという説明に重きを置かずにむしろ記憶屋という存在を使って語ろうとするテーマに重きを置いているところに好感が持てました。そのテーマとは、「罪を許すこと」です。記憶を消すことは、実は自分が誰からか害されたという被害意識を失うことであり、害を為した人物に対する恨む憎しむ気持も忘れさせてくれることにつながります。
 
 中島みゆきの『歌姫』の歌詞のように♪握りこぶしのなかに、あるように見えた夢を、もう2年、もう10年忘れすてるまで〜♪と執着し続けるのは苦しいことです。その忌々しい記憶を、記憶屋さんに頼んで、スパッととって貰ったら、もう誰も恨むこともなくなり、気分はグッと楽になることでしょう。
 
 遼一も当初は恋人が記憶を消された衝撃で、なんとか失われた記憶を取り戻そうと奮闘します。けれども恭子が記憶を消さざるを得なくなった事情を知るうちに、迷いだし、やがて「罪を許すこと」の大切さを悟るようになるのです。
 
 ただ記憶屋さんに頼まなくても、人は悪しき記憶を乗り越えられることもできます。劇中不治の病にかかったある登場人物が、生き別れとなる娘から自分の記憶をなくして欲しいと記憶屋に依頼します。しかし、記憶屋はそれを実行しませんでした。親子の記憶というものは、消しようがない事実であり、たとえ悲しい生き別れとなっても娘の今後の成長には、親から愛された記憶というのが必要だったからでしょう。
 
 悪しき記憶が残ってしまったとしても、人は誰かから愛されたという光明面の実感があれば、悪しき記憶が自然と萎んでいくものです。カイロ・レンだって母親レイアの愛によって、改心したではありませんか(^^)誰にでも、何かから愛された記憶は持っているはず、両親や先生、大人になるまでお世話になった方々など無数の愛された記憶を持っているのに辛い記憶ばかり抱え込みも自身の不遇を嘆いてしまうのは、自らを愛せなくなっているからです。そして自らが愛されてきた記憶を忘れているからです。
 
 記憶を消すのが記憶屋なのに、本作は逆にどんな記憶も愛おしく感じさせてくれるようになる深いメッセージがあるところが良かったと思います。
 ただ過去の悪しき記憶について、本作では忘れるべきものと否定的に描かれていました。その点映画『マチネの終わりに』では、過去の悪しき記憶も、未来の選択によってその意味を変えていけるというテーマが盛り込まれていて、こっちの方がよりポジティブな発想だなと軍配を揚げておきます。

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