盛大にネタバレする事をどうか許して欲しい。
良かったわぁ
しっかり泣けた
劇場にいた女の人、漏れなく啜り泣いてるの
花啜り大合唱
良い所で2回もiPhoneの着信音を鳴らしたジジィに対しては、全員がこう思ったよ
『お前は電源を落とさなかった。死にあたいする。』
最初に原作のコミックを読んだ時は、杏寿郎の死に衝撃を受け、単純に悲しみに涙した。でもね、原作を読み進めて様々な事を汲み取ってから映画を見ると、大分意味合いが変わって来る。確かに杏寿郎が死んだ事は悲しい事だけど、彼は自分の果たすべき事を果たし、炭治郎達後進の今後の活躍を確信して何を憂う事なく笑顔で、満足げに笑顔で死んでいった。勿論、彼の強い想いは炭治郎達に受け継がれて、彼らが発奮するきっかけとなったのは言うまでもない。悲しいけれど、悲しくない。何だろうね?自分の全てを出し切って戦って、力及ばす負けた。悔いは無い筈だし、悲しんで欲しいとも思ってはいないような気がするんだ。めそめそしている暇があるなら、一人でも多くの人間を鬼から守れ。鍛錬して鍛錬して強くなれ。この想いを、柱魂を後進に受け継いでゆけ。鬼舞辻無惨を倒して悲願を達成しろ。そんなふうに思ってるんじゃないかなぁ。
それからね、戦った上弦の参・猗窩座。憎い憎い鬼ではあるけれど、彼は卑怯な手を使う事なく正々堂々と戦った。互いに死力を尽くして真剣勝負をして力及ばず負けたとなれば、猗窩座を責めるのも何か違う気がする
更には、猗窩座自身の過去や想いを知ってしまうと、一概に彼を責められないし。悪いんだけど、悪くない。杏寿郎は、柱としての矜持を貫いて死んでいったのだから、悲しんではいけない。散り際の美学
漢だ
武士(もののふ)だわぁ
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