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2020年08月04日07:06

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地位協定

#地位協定
非常に貴重な記事を上げてくれました。全7ページありますが是非全文をお勧めしたいです。
【外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(15)日米地位協定の死角 在沖米軍に見る感染拡大の実態 JCASTニュース】
抜粋
在沖米軍で拡大するコロナ禍の実態と、その背景を探る。
■ 奇妙な「第一報」
 それは、奇妙な「第一報」だった。
 
6月30日夕に米軍から沖縄県を通じてキャンプ・ハンセンなどがある北谷町に、「7月から人事異動者を対象に、町内のホテルを滞在場所として使用する」との連絡があった、という。その後、県が防衛省沖縄防衛局や外務省沖縄事務所に照会し、「基地内で収容しきれないための措置で、ホテル利用者は原則外出禁止。従業員が接触しないよう配慮している」などの説明があったが、人数については回答が得られなかった、という。

 この「判じ絵」のようなニュースを読み解くカギは二つある。一つは、米国は日本政府による入国拒否の対象国だが、米兵は日米地位協定で、拒否の対象になっていないということだ。もう一つは、米軍については地元が直接、米軍に問い合わせをしても、なかなか答えてもらず、防衛省や外務省の出先機関を通して聞く方が早い、ということだ。

◇  米軍感染拡大の経過をみると
◇  接触した県民も感染
◇ 日米地位協定に詳しい明田川融・法政大教授に聞く
 7月23日に、法政大教授の明田川融(あけたがわ・とおる)さんにZOOMでインタビューをした。

 明田川さんは法政大大学院で学んだ政治学博士で、「日米行政協定の政治史」(法政大学出版局)や「沖縄基地問題の歴史」(みすず書房)などの著書がある。今回問題になった日米行政協定の研究では、第一人者だ。

 1951年、サンフランシスコ講和条約の締結で連合国軍占領からの独立を果たした日本は、同時に米国と日米安全保障条約(旧安保)を結び、占領米軍を駐留米軍として受け入れた。安保条約は骨格のみを定めた極めて簡素な条約であり、その具体的な運用の詳細は、翌年に調印された「日米行政協定」に委ねられた。

 1960年、岸信介政権は旧安保を改定し、新安保条約を強行採決し、これが現行の日米安保条約になる。その際、「日米行政協定」も「日米地位協定」に改めた。

 正式名称は極めて、長たらしい。
 「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」

 日米安保条約は前文に続く全10条の簡素な作りだが、核心は第5条に定める米軍の日本防衛責任と、日本における米軍の基地使用を定めた第6条の二つにある。米軍は日本において基地を使用できる代わりに、日本の施政下における領域で、いずれかが攻撃された場合、自国の憲法の規定や手続きに従って、共同で対処するというものだ。これは「物(基地)と人(在日米軍)の協力」という「非対称」の条約(大阪大・坂元一哉教授の表現)だが、むろん、表向きは対等の関係にある。

 このうち、第6条に定めた在日米軍基地と米軍の地位については、そっくり「日米地位協定」に委ねられた。これが、長たらしい正式名称の由来だ。

 ところで、沖縄はサンフランシスコ講和条約によって独立する日本本土とは切り離され、引き続き米軍の施政下に置かれた。日本国憲法も、旧・新「日米安保条約」も適用されなかった。米軍は東アジア全般にプレゼンスを示すため、沖縄を拠点に「基地の自由使用」を続けた。集中的な核配備や、ベトナム戦争における爆撃機の直接発進が行われたのは、そのためだ。

 1972年5月15日に沖縄が返還され、本土に復帰した際、沖縄にどう日米安保条約を適用するかが、問題になった。そのために作成された日米地位協定の沖縄版が、英文で250ページを超える「5・15メモ」である。それまで沖縄の基地の「自由使用」を続けた米軍は、できるだけ特権を維持しようとして、日本側との交渉に臨んだ。

 もともと、日米行政協定・日米地位協定は、占領期の色合いを濃く残した米軍に有利な取り決めだった。だが、本土とは違って、米軍基地が過密化し、本土にはないさまざまな部隊を配置する沖縄で同じ規定を適用すれば、犯罪や人権侵害、社会問題が頻発するのは目に見えている。しかも、復帰前からの「特権」を維持しようとした米軍との間で結ばれた「5・15メモ」には、基地によっては使用の明確な条件を記さないなど、さまざまな抜け穴が残された。県道を封鎖したうえでの米軍の実弾砲撃演習が行われていたのも、その一例だ。

 以上が、明田川さんの著書「沖縄基地問題の歴史」を読んで、私なりに要約した沖縄の「日米地位協定」の問題点だ。あとは、明田川さんに話をうかがおう。
◇  日米の課題は「身柄引き渡し」「航空法」からコロナへ
◇  検疫に関する日米合意の実態
◇  住民の生命を軽んじる米軍や日本政府の体質は変わらず
◇  住民を犠牲にした「戦争マラリア」の教訓を学んでいない
大矢さんは、早稲田大学大学院でジャーナリズムを学ぶ09年に、インターンをしていた石垣島の八重山毎日新聞社で「戦争マラリア」のことを知り、この問題を調べ始めた。

 多くの人は、いまだに、「戦時中の混乱が招いた不幸な病死」とか、「米軍から住民を保護するための疎開の結果」などと誤解している。だがそうではない。石垣島の住民は島内の山間部へ、波照間や黒島、鳩間島、新城島の住民は西表島に強制的に移住させられた。それも、マラリアの無病地区から、有病地区への「疎開」だった。

 米軍が上陸しなかったにもかかわらず、なぜ住民は日本軍によってマラリアの有病地区に追いやられ、3600人以上が犠牲にならねばならなかったのか。

 その真相に迫るため、大矢さんは大学院を休学し、島民の3人に1人が疎開でマラリアの犠牲になった波照間島に、8か月間住み込んだ。人と人の関係を築かなければ、人は胸の内を明かしてはくれない。農家のおじい、おばあに受け入れてもらい、サトウキビの収穫で1日8時間働き、八重山の民謡を習い、人々との語らいを通して方言を学んだ。ようやく心を許してもらい、大学院の修士終了の映像作品を完成させたが、その時に沖縄の人々は、もう取材対象ではなく、共に生きる人々になっていた。

 その取材の過程で大矢さんは、追い続けた「戦争マラリア」の謎に迫る最後の扉を開けることになった。

 住民に疎開を命じたのは、沖縄に送られた陸軍中野学校出身者42人のうち、八重山に派遣された4人だった。日本軍はどの地域がマラリアの有病地かを事前に調べ、軍の幹部には特効薬のキニーネを準備しながら、住民を有病地に「疎開」させた。

 食糧供給や基地建設などで住民に協力をさせたのに、戦況が悪化するにつれ、住民は「軍事機密を知っている」がゆえに、「不都合」な存在とみなされ、軍の作戦の邪魔にならないよう監視下に置かれた。

 映画「沖縄スパイ戦史」は、証言と軍の作戦計画書などをもとにその最暗部に迫ったドキュメンタリーであり、今年2月に「あけび書房」から出版された大矢さんのルポルタージュ「沖縄『戦争マラリア〜強制疎開死3600人の真相に迫る」は、この10年に書き溜めた20冊以上の取材ノートをもとに書きおろした渾身の力作だ。その大矢さんの目に、今コロナ禍で揺れる沖縄はどう映っているのか。大矢さんは、問題は二つある、という。

 「一つは日本政府自体の問題です。政府は、感染拡大が分かっていながら経済を優先させ、『Go Toキャンペーン」を前倒しで実施した。それを見ていると、マラリアに感染すると分かっているのに、軍の作戦を優先して住民を有病地に強制疎開させ、3600人以上の大量死を招いたことを思い出します。本来は守らねばならない住民の命をないがしろにし、軽んじる点で、戦争マラリアがもたらした教訓を学んでいない気がします」

 もう一つは、米軍自体がはらむ問題だ。

 「アメリカでは感染拡大に歯止めがかからず、私が住むカリフォルニアは全米で最も感染者数の多い州になりました。感染は米軍内でも広がっている。感染そのものはアメリカの国内問題ですが、海外に駐留する米軍を通して、各国にその問題が漏れ出している。日米地位協定によって、兵士や軍属は基地の外に出入りできるのに、地元自治体は立ち入りができず、感染が広がっても、地元の沖縄がそれをやめてくれ、という法的な権限がない。出入国管理法令が適用されないことは、以前から繰り返し問題になってきた。基地の外で性犯罪をおかしながら、基地に逃げ込み、そのまま基地から出国したこともある。旅券審査を受けずに出入国できる協定によって、被害者は泣き寝入りせざるを得なかった」
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 「被害者である感染者を、規則に従わないばかりに罹患した悪者のように扱ったり、本人が身元を隠したりといったことを見聞きすると、コミュニティを裏切るスパイを監視した戦時中のことを思い出します。『裏切者』をあぶりだして自己責任を問うのではなく、感染防止の対策がきちんと行われているのか、政策がきちんと機能しているのかを、まず問うのが先なのではないでしょうか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/05014b503497f52edb5101b0cbbf25bd40f907ef
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