地下鉄・都営三田線の「白山駅」で下車しすれば、白山神社までは100mほど、隣りの駅の「春日」方面に南下すると150mほどで「白山下」交差点に出る。白山通りと並行する東側の細い道を直進する事300mほどで郵便局が有る。郵便局を基点として、東側
永承六年(1051)、八幡太郎義家(源義家)が、奥州征伐に向かう途上に当社に立ち寄り、サクラに源氏の白旗をかけ、戦勝祈願したと伝わることから「白旗桜」と命名された。江戸時代盛んに作られた地誌にも紹介されており、「江戸三名桜(郊外三銘木)」の
文永11年(1274)に佐渡配流から帰った日蓮が一時、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていた。その後の永享8年(1436)に一乗院日出が日蓮にゆかりの夷堂を天台宗から日蓮宗に改め本覚寺を創建したという。後に身延山を再興した第2世の行学
ところで、夜間労働者(06時40分に床に入り、13時40分に起床)にとっては、「鎌倉の桜めぐり」は無理が有ります。扉の有る山門は、16時30分に閉門してしまうので、境内には入れません。このお寺には、本堂右に背の高い立派なシダレザクラが見頃を
光則寺は「花の寺」としても有名です。特に、樹齢200年の「海棠(カイドウ)」は4月になると開花し、満開の枝振りとお寺の屋根とのコラボ写真は絵になります。もう一つお薦めしたいのが、唐種招霊 (からたねおがたま)。4月半ばごろから咲き始め、5月
残念ながら、今日は曇天の上、霧雨が降っています。せっかく「おかめ桜」の撮影に来たので、眼下の秦野市内や湘南の遠望の夜景めぐりをしました。まず一番目が「浅間神社」から、視界は120度ですが目の前に鳥居があるので、絵になります。もう少し標高の高
早咲きの桜の一つに「おかめ桜」が有ります。このおかめ桜は、2010年に開催された全国植樹祭を記念して300本植樹されたもので、秦野市内を流れる水無川の上流にある平和橋から県立秦野戸川公園近くまでの上流に向かって約1.1キロメートルにわたり、
400年前の江戸開府当初は、麹町、鎌倉河岸、大橋内柳町の3つが比較的大きな売春街でした。もちろん、幕府は取り締まるため、摘発と摘発逃れのいたちごっこが続いていたそうです。幕府は元和3年(1617)に許可を出し、市内の傾城地(売春街)をまとめ
余談であるが・・・・、「浄閑寺」や「弁天池」の前で、デジタルカメラで撮影しても、成仏できない霊が写真に入ってこないが、赤外線カメラだったら数万の霊を撮影できるかも。話しは代わって、史跡としては、----------------------------------------飛不動
花街の原点を取材している最中ですが・・・。吉原遊廓(よしわらゆうかく)が、人形町と浅草に有ったそうです。今回から3話続けて「花街・吉原」を語りますので、ご一緒に学習しませんか?まずは「日本一の風俗街」からhttp://www.von.mydns.jp/nikon-D90/16
2016-3-17 19時頃より人形町の上空をヘリコプターが7〜8機旋回しており、非常にうるさかった。店から出てきた人が上空を見上げているので聞くと・・・・、「清原釈放」との事。家に帰ってパソコン検索で・・・・「2016/3/17、保釈金500万円を納めた元プ
今回、初めて足を踏み入れた『思い出の抜け道』ヤクザとホストしかいない悪名高き「風林会館ビル」のすぐ南側にある『新宿センター街・思い出の抜け道』と名付けられた路地裏横丁。道路に面した建物には無料案内所やぼったくりバーのネオンが煌々としているが
戦後、新宿駅前に闇市が出来、歌舞伎町いったいが繁華街となり、新宿二丁目の花街の消滅から、赤線が誕生し、飲食店の変化とは別に、歓楽街として変化を遂げていくのでした。--------------------------歌声喫茶、同伴喫茶、マジックミラーの覗き部屋(ストリ
過去に何度か撮影しているが、今回は間近な場所(真下から)撮影しました。動画で撮影しましたので、迫力満点です。新宿歌舞伎町に現われたゴジラ。http://www.von.mydns.jp/nikon-D90/16042/16042.htm
2020東京オリンピック会場のメイン会場として計画されている現在の「国立霞ヶ丘競技場」跡地だが、1964年に東京で開催されたオリンピック時に使用された建物で有り、屋根も無く、座席数も少ないので、2019年までには建替えられるそうだ。施設を解
新宿御苑は、都内随一の桜の名所です。園内には約65種1300本の桜が植栽され、2月のカンザクラから、4月下旬のカスミザクラまで、長い期間にわたって特色あふれる花々を楽しめるのが魅力です。早咲きで知られる河津桜と寒桜(カンザクラ)やオカメ桜は
まつだの河津桜も、3月13日までの「桜まつり」期間中ながらすっかり葉桜気味となった。河津桜としては、昼間の撮影では敬遠されそうな時期ですが・・・・。今回の被写体は、「雛のつるし飾り」と「あしがらの夜景」に有るため、「桜まつり」はおまけのよう
西湘地域(開成町、南足柄市、小田原市、大井町、山北町、松田町)は、「雛のつるし飾り」の普及率は高く、中でも、開成町の「瀬戸屋敷のひなまつり」がダントツで、テレビ等で首都圏に放映されているので、知名度は高いのですが、今回、松田町にも穴場的存在
今年も2月27日〜3月6日までの9日間、お食事どころのお部屋を五部屋もつぶして、秘蔵の五百体のお雛様を飾り、一般公開してくれた。本来なら、会席料理屋なので縁の無い所だが、高品質の雛人形で有り、江戸・明治・大正・昭和とお雛さまの歴史の流れや、
毎年、『ちりめん細工 江戸の針』グループの三好先生から招待状が届く。今回は「十二支」の動物を作品作りのテーマとして、「凧」と「羽子板」と「雛のつるし飾り」を60名の生徒さんが、それぞれ分担して、約1000点の作品を作ったそうだ。このグループ
すでに江戸時代からの繁華街だった為、必然的に、明治38年、亀戸天神の背後一帯には花柳界が広がっていく。昭和初期には芸妓置屋89軒、芸妓236人、料亭11軒、待合79軒だったと記録されている。亀戸天神の北側の三業通りには、旧検番所をはじめ料亭
JR総武線・亀戸駅で下車したのは・・・「花街・亀戸」を取材する為。「梅の花,藤の花で有名な亀戸天神の背後一帯」は、明治38年から遊郭が存在し、戦後も続 いていた花街は平成9年に検番所が閉じられるまで続いたというから、まだまだ現役の匂いが残っ