続いて『青線地帯』とは・・・のおさらいです。http://www.von.mydns.jp/nikon-D90/16033/16033.htm
まずは『赤線地帯』とは・・・のおさらいからご覧下さい。http://www.von.mydns.jp/nikon-D90/16032/16032.htm
港の見える丘公園の近くにある、外国人専用の墓地の起源は・・・。150年前の横浜での出来事をちょっとだけ振り返ってみよう。----------------------------1854年、ペリーは開国交渉のため7隻の艦隊を率いて再度来日した。しかしその時、乗組員ロバー
先日、お雛様の展示されている「根岸の旧柳下邸」をちょっと紹介しましたが、今回は建物の紹介を致します。豪商だった人の別荘から本宅へ改造したため、家具調度品にも目を見張るものが有ります。長年人が住んでいたため、廊下の変色も生活臭有ります。お風呂
過日、JR根岸駅で下車し、「工場夜景」の撮影のおり、駅前の掲示板で『旧柳下邸の雛まつり』のお知らせを目にした。大正時代に建てられた和風の建物と洋館が、関東大震災でも太平洋戦争の空襲にもさほどの被害を受け無かったと言う。現在、建物は横浜市に寄
江戸時代から花柳界のステータスとして、遊郭が有りました。その後、遊郭開放の流れは、芸妓置屋、待合、料亭に。売春防止法の施行までは、日本全国113市の内、98市に花街が有ったそうです。当時、銀座では、「柳橋芸者」と「新橋芸者」が覇権あらそいを
カレッタ汐留ビルの46、47階に、展望レストランがあります。このビルより海側には高い建物が無い為、隅田川や築地市場やお台場の夜景で180度の展望が出来ます。しかし、フリーエリアは幅5メートルほどしか有りませんし、尚且つ、足元のブルーのLED
銀座8丁目の界隈は、江戸時代に能の名門・金春家の屋敷があり、町奉行が取り締まれない治外法権の場所だったそうだ。金春家が引越し、屋敷跡が更地になった。そのため芸者置屋が徐々に増え、花街へと発展していったと伝えられる。現在も路地裏を中心に、かっ
新橋の烏森(からすもり)と言えば、「サラリーマンの夜の聖地」である。新橋駅烏森口前のニュー新橋ビル(戦後の再開発ビルでこの建物そのものも大変興味深い集落)の西側、飲み屋街の中に完全に埋もれた形で烏森神社はある。鳥居をくぐった神社の境内、本殿
夜景の被写体も残り少なくなりました。窮する者藁をも掴む・・・で、ついに「墓場シリーズ」に手を付けました。暗闇の中での撮影・・・何が出てくるのかワクワクものです。http://www.von.mydns.jp/nikon-D90/16024/16024.htm
江戸時代の六本木地区は武家屋敷の建ち並ぶエリアだった。戦後は、大使館が「麻布」「赤坂」「六本木」に集結しています。その為、花街の原点の「遊郭や赤線、青線」には無縁の場所では有るが、今や、日本を代表する繁華街と言えば、「銀座」についで「六本木
江戸時代以降、遊郭が大人の遊び場だった。戦後は赤線とか青線に姿を変えて、そして無くなってから久しい。夜景シリーズとして、「かっての花街」を歩いて見る事を計画。第一弾として、「神楽坂」を選んだが・・・500m四方の繁華街を3時間半ほどかけ、万
「東京の中心で高さ150m」という立体感ある夜景が楽しめる東京タワーの環境と、大展望台のタテに4段並んだオリジナリティある窓の形状を生かし、上2段の窓ガラスにのみ、透明特殊フィルムを貼ることによって、東京夜景の上空に3Dプロジェクション映像
世界貿易センタービルの40階に、「シーサイドトップ」と呼ばれる展望台があります。入館料は、500円/シニア料金ですが、最上階(40階)にある展望台から360度の東京の大パノラマを楽しむことができます。一周200メートルの展望台はすべての方角
京浜地区の「工場夜景」撮影の帰り道、未踏の地となった「大黒ふ頭」の工場夜景を遠景ながら一目見ようと、みなとみらい駅で下車し、「パシフィコ横浜」の東側に広がる『臨港パーク』まで足をのばした。昼間であれば、横浜港を望む抜群のロケーションが目の前