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2022年05月22日01:07

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05月22日の日記

今日の出来事:192年−董卓が呂布に殺害される、229年−呉の孫権が皇帝に即位し三国鼎立が成立、1703年−曽根崎心中、1763年−耶馬渓に青の洞門が開通、1868年−戊辰戦争:富山弥兵衛殺害、1869年−箱館戊辰戦争:松前の戦い、1874年−台湾出兵、1877年−西南戦争:重富の戦い、1903年−華厳滝の自殺、1980年−ナムコがアーケードゲーム「パックマン」を発表、2012年−東京スカイツリーが開業

今日は、董卓が呂布に殺害されるです。董卓は後漢末期に霊帝死後の混乱に乗じて政権を握りました。そして、少帝を廃して献帝を擁立して権勢を欲しいままにしました。しかし、諸侯や朝臣の反感を買い、最期は養子で側近の呂布に殺害されました。

次に、呉の孫権が皇帝に即位し三国鼎立が成立です。三国時代・呉の孫権が皇帝に即位しました。これにより、魏・蜀・呉と三人の皇帝が同時に存在する「三国鼎立」が成立しました。

その次に、曽根崎心中です。「曽根崎心中」は、1703年5月22日早朝に大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(21歳)」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件です。「西国三十三所」巡礼を終えたお初は、醤油屋の手代・徳兵衛と最後の観音巡礼の地「生玉の社」で偶然の再会をしました。二人は巡礼以前から愛し合う仲でした。巡礼中に便りのなかった事を責めるお初に、会えない間に自分は大変な目にあったのだと徳兵衛は語りました。徳兵衛は、実の叔父の家で丁稚奉公をしてきましたが、誠実に働く事から信頼を得て娘と結婚させて店を持たせようとの話が出てました。徳兵衛はお初がいるからと断りましたが、徳兵衛が知らない所で叔父が勝手に話を進め、徳兵衛の継母相手に結納金を入れるところまで済ませてしまいました。結婚を固辞する徳兵衛に叔父は怒りだし、勘当を言い渡しました。その内容は、商売などさせない、大阪から出て行け、付け払いで買った服の代金を7日以内に返せというものでした。徳兵衛はやっとの事で継母から結納金を取り返しましたが、それを叔父に返済する前に、どうしても金が要るという友人・九平次に3日限りの約束で金を貸してしまいました。徳兵衛は、九平次に返済を迫りましたが「借金などは知らぬ」と逆に徳兵衛を公衆の面前で詐欺師呼ばわりした上で散々に殴りつけ、面目を失わせました。兄弟と呼べるほどに信じていた男の手酷い裏切りでした。徳兵衛は、結納金を横領していない事を死んで身の潔白を証明する事でしか思いつきませんでした。そこで、徳兵衛は覚悟を決め、日が暮れた後に密かにお初のもとを訪れました。お初は、他の人に見つかっては大変と徳兵衛を縁の下に隠しました。そこへ、九平次が客としてお初のもとを訪れましたが、素気無くされて徳兵衛の悪口を言って帰りました。徳兵衛は、九平次がお初に語った騙し取った金の話に怒りで身を震わせながら縁の下から出てきた時に、お初に死ぬ覚悟を伝えました。そして、真夜中にお初と徳兵衛は手を取り合って、曽根崎の露天神の森、冥途への旅の始まりとなるところに行きました。互いを連理の松の木に縛って覚悟を確かめ合いましたが、最期に及んで徳兵衛は愛するお初の命をわが手で奪う事を躊躇しました。お初は「はやく、はやく」と励ましながら、遂に短刀でお初の命を奪うと、終に返す刃で自らの命を絶ちました。一ヶ月後、近松門左衛門が、この二人の悲恋を人形浄瑠璃「曽根崎心中」として発表しました。この作品は、当時の世相人情の機微を掴んで大反響を得て、大きな話題となりました。この事件以降、露天神社は「お初天神」とも呼ばれるようになりました。これを皮切りとして、「心中もの」ブームが起こりました。近松門左衛門の代表作の1つである「心中天網島」も発表されました。心中ものの流行の結果、来世で二人の愛が結ばれることを誓った心中事件が多発しました。江戸幕府は、上演や脚本の執筆や発行を禁止すると共に、心中者の一方が生存した場合は極刑を申し渡し、双方生存の場合は晒し者にした後に市民権を奪いました。心中死した遺体は親族に下げ渡さずに一切の葬儀を禁ずるなど、心中事件に対して苛烈な処置を行いましたが、その後も「江戸四大飢饉」や「天明の打ちこわし」といった事件により、民衆の心中は流行していきました。

その次の次に、耶馬渓に青の洞門が開通です。青の洞門は、大分県中津市の耶馬渓にある山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾にある洞門(トンネル)です。全長は約342m。諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集めました。そして、石工たちを雇ってノミと槌だけで、30年かけて掘り抜きました。開通後、禅海が通行人から通行料を徴収したと言い、この洞門は日本最古の有料道路となりました。現在は、耶馬日田英彦山国定公園に指定されています。

そのまた次に、戊辰戦争:富山弥兵衛殺害です。富山弥兵衛は、1843年に薩摩藩士の子弟として生まれました。1864年、「新選組」に加盟して七番大砲組に属し、伍長をつとめました。後に、伊東甲子太郎、篠原泰之進、三木三郎らと共に「御陵衛士」結成に参加しました。1867年、大坂で勤王家・曲直瀬道策を殺害しました。「油小路事件」では三木三郎、篠原泰之進、加納鷲雄らと現場を脱出し、薩摩藩に匿われました。その後、伏見街道で阿部十郎、加納鷲雄ら「御陵衛士」残党と共に、二条城から帰る近藤勇を襲撃しました。「戊辰戦争」では薩摩藩に属しました。「鳥羽・伏見の戦い」では、背中を負傷して京都の薩摩藩邸で療養しました。1868年5月22日、会津藩の動向探索の命を受けて越後・出雲崎に潜入しましたが、水戸藩「諸生党」に捕らえられました。脱走を試みて逃走しましたが、失敗して追っ手に槍で刺されて殺害されました。享年26でした。

そのまた次の次に、箱館戊辰戦争:松前の戦いです。新政府軍が乙部に上陸し、江差を占領しました。松前を守備していた伊庭八郎が率いる「遊撃隊」と春日左衛門が率いる「陸軍隊」を中心とする部隊500名が江差奪還のために出撃しました。根武田付近で新政府軍の斥候を蹴散らし、茂草まで進出しました。新政府軍は江差まで退却しました。このまま江差奪還を目論んだ旧幕府軍でしたが、新政府軍が後方の木古内に進出したとの報で、松前への退却を余儀なくされました。5月25日には、仙台藩を脱藩した二関源治が率いる「見国隊」400名がイギリス船で鷲ノ木近くの砂原に到着し、室蘭及び箱館防備に投入されました。5月26日には、陸軍参謀・黒田清隆が率いる2800名が江差へ上陸し「松前道」、「木古内道」、「二股道」の三つのルートから箱館へ向けて進軍を開始しました。

さらに次に、台湾出兵です。1871年10月、宮古島から首里へ年貢を輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風で遭難しました。乗員は漂流し、台湾南部に漂着しました。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていました。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民(台湾先住民パイワン族)に救助を求めましたが、逆に集落へ拉致されました。遭難者たちは集落から逃走、先住民は逃げた者を敵とみなして次々と殺害し、54名を斬首しました(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は漢人移民により救助され、台湾府の保護により宮古島へ送り返されました。明治政府は清国に対して事件の賠償などを求めましたが、清国政府は管轄外として拒否しました。1873年には備中国浅口郡柏島村(現在の岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こりました。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まりました。大久保利通を中心とする明治政府は台湾征討を決断し、参議・大隈重信を台湾蕃地事務局長官とし、陸軍中将・西郷従道を台湾蕃地事務都督として任命しました。この時、参議・木戸孝允は辞表を提出して下野しました。しかし、西郷従道は独断での出兵を強行し、長崎に待機していた約3000名の征討軍を出動させました。西郷従道の命を受けた谷干城・赤松則良が率いる主力軍が、江戸幕府から引き継いだ軍艦3隻で長崎を出航すると、政府もやむなくこれを追認しました。台湾南部に上陸すると台湾先住民との間で、小競り合いが生じました。台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷従道の命令によって本格的な制圧を開始し、牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けました。戦死者は12名でしたが、現地は劣悪な衛生状態の中、亜熱帯地域の風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、561名が病死しました。また、清国は日本の行動に抗議し、撤兵を要求しました。「日清両国互換条款」が調印され、清が日本軍の出兵を義挙と認め、 遭難民に対する見舞金10万両、戦費賠償金40万両の計50万両を日本側に支払う事を合意しました。これにより、清国が日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人という事になり、琉球の日本帰属が国際的に承認される事となりました。

さらに次の次に、西南戦争:重富の戦いです。薩摩軍は4月28日の江代の軍議の後、中島健彦を「振武隊」などの指揮長として鹿児島方面に派遣しました。監軍・貴島清を伴って出発した中島健彦は、途中で別府晋介・桂久武らと会して5月1日に軍議を開き、別府晋介が横川に本営を置いて鹿児島方面を指揮し、前線部隊の中島健彦らはさらに進んで山田郷から鹿児島に突入する事となりました。5月5日には遅れて到着した、相良長良を指揮長とする「行進隊」などが「振武隊」と合流しました。薩摩軍は当初、山田街道から城山北方に出て、背面から官軍を攻撃しようとしました。しかし、雨に阻まれたり、激しい抵抗にあったりしたため、冷水へ後退しました。5月6日には西方に迂回し、甲突川を越えて急襲しようとしましたが、渡河中に猛烈な射撃を受けて大敗し、伊敷へ後退しました。薩摩軍は各郷から新兵を募集し、「新振武隊」を編成しました。また上町商人からなる「振武附属隊」も作られました。5月11日〜13日にかけて、催馬楽山の薩摩軍と海軍軍艦「龍驤」との間で大規模な砲撃戦がおこなわれました。14日〜17日にかけて、政府軍によって薩摩軍の硝石製造所・糧秣倉庫等が焼却されました。薩摩軍に包囲されて市街の一画を占領している状態の「別働第1旅団」は、武村を攻撃しましたが敗退しました。「第4旅団」が薩摩軍の不意を衝いて花倉山と鳥越坂から突入しましたが、これも撃退されました。5月22日、参軍・川村純義は第4旅団1個大隊半・別働第3旅団2個中隊を右翼、別働第1旅団2個大隊半を左翼として軍艦4隻と小舟に分乗し、艦砲で援護しながら重富に上陸させて薩摩軍の後方を攻撃させました。また、軍艦「龍驤」を加治木沖に回航して薩摩軍の増援を阻止させました。左右翼隊の健闘で薩摩軍も遂に重富から撃退され、次いで磯付近で包囲攻撃を受けて北方に敗走しました。こうして政府軍は重富を確保しました。これに対し、23日、中島健彦・貴島清・相良長良は政府軍に反撃し、「行進隊」と「奇兵隊」で雀宮・桂山を襲撃し、多数の銃器・弾薬を獲得しました。

最後に、華厳滝の自殺です。北海道出身の旧制一高の学生・藤村操が、華厳滝で投身自殺しました。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」は、当時のマスコミ・知識人に波紋を広げました。藤村操は、開成中学から一年飛び級で京北中学に編入し、第一高等学校に入学しました。彼の死は、一高で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石やその同級生、在学中の岩波茂雄の精神にも大きな打撃を与えました。夏目漱石は自殺直前の授業中、藤村操に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていました。この事件は夏目漱石が後年、うつ病となった一因とも言われています。著書「吾輩は猫である」や「草枕」でもこの事に言及しています。厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出しました。警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者も多くいましたが、藤村操の死後4年間で華厳滝で自殺を図った者は185名にのぼりました(内既遂が40名)。華厳滝が今だに自殺の名所として知られるのは、このためです。墓所は東京都港区の青山霊園です。藤村操が遺書を記したミズナラの木は、警察により削り取られて伐採されました。しかし、それを撮影した写真が現存し、現在でも華厳滝でお土産として販売されています。

今日の誕生日:広瀬淡窓、リヒャルト・ワーグナー、島津忠義、アーサー・コナン・ドイル、豊田副武、中村吉右衛門、大竹まこと、嶋大輔、錦織一清(少年隊)、亀田史郎、ナオミ・キャンベル、motsu(元m.o.v.e)、ゴリ(ガレッジセール)、木村卓寛(天津)、田中麗奈、原史奈、ノバク・ジョコビッチ、徳永千奈美(元Berryz工房)、高木美帆

今日の記念日:国際生物多様性の日、ガールスカウトの日、サイクリングの日、たまご料理の日、ほじょ犬の日、抹茶新茶の日、うなぎの未来を考える日

今日の「今日訓」:本日は、東京スカイツリーが開業して3周年です。生物の多様性が失われつつあること、それに纏わる諸問題に対する人々の認知を広めるために国際連合が制定した「国際デー」の一つ「国際生物多様性の日」です。「国際デー」とは、国際連合などの国際機関によって定められた記念日で、毎年定められた日に特定の事項に対して特に重点的問題解決を、国連をはじめ全世界の団体・個人に呼びかけるための日です。世界各地で記念行事が行われています。1947年、「第二次世界大戦」で中断されていた日本のガールスカウトを再興するため、準備委員会が発足した事を記念して「ガールスカウトの日」、「スポーツ振興法」でサイクリング奨励が定められたのをきっかけとして、1964年にサイクリング普及のための団体として文部大臣から設立認可を受け、任意団体から財団法人になった事を記念して「サイクリングの日」、2009年にマリアナ諸島付近で、世界で初めて天然ニホンウナギの卵を採取に成功し、うなぎの完全養殖化への道が開けた事から「うなぎの未来を考える日」、「茶」の字は草冠を「十」と「十」に見立て、その下を「八十八」とすると合計で百八になり、立春から数えてほぼ108日目で「抹茶新茶の日」、5月の05で「たまご」、22日を「ニワトリ」と読む語呂合わせで「たまご料理の日」、2002年5月22日に「身体障害者補助犬法」が成立した事から「ほじょ犬の日」となりました。
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