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2020年04月10日00:10

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4月10日の日記

今日の出来事:1546年−龍造寺家兼死去、1657年−徳川光圀が「大日本史」の編纂に着手、1959年−皇太子・明仁親王(現・天皇)と正田美智子(現・皇后)が御結婚、1988年−瀬戸大橋開通

今日は、龍造寺家兼死去です。龍造寺家兼は、肥前の国人・龍造寺氏の第13代当主・龍造寺康家の5男で、分家・水ヶ江龍造寺家を興しました。しかし、本家・村中龍造寺家が、内部分裂や当主の早逝で力を弱めたため、一門の長老である龍造寺家兼が本家を補佐する事となりました。しかし、龍造寺家兼は剛腹かつ智勇に優れていたため、すぐに本家に取って代わって実権を掌握し、主家である少弐氏の筆頭家臣にまで上り詰めました。そして、1530年に大内義隆が家臣・杉興連に1万の大軍を預けて侵攻させてきた時、龍造寺家兼は筑後川の支流で大内軍を見事に撃退しました(田手畷の戦い)。この戦いを機に、大内義隆よりその実力を認められ、少弐氏から離反して大内氏に従うように勧められました。龍造寺氏は少弐氏に追われた千葉氏旧臣の家柄でした。このため、龍造寺家兼は大内義隆が主君の少弐資元を攻撃した時、積極的に救援をしませんでした。結局、少弐資元は自害に追い込まれ、龍造寺家兼は主君を見捨てた裏切り者という疑惑を受けました。しかし、その後も龍造寺家兼は少弐資元の子・冬尚に仕えました。1545年、龍造寺家兼が少弐資元を救援しなかった事を謀反による主君殺しと見て義憤を感じていた少弐氏の家臣・馬場頼周の策謀により、龍造寺家兼の2人の息子(家純、家門)と4人の孫(周家・純家・頼純・家泰)がすべて誅殺されてしまいました。龍造寺家兼はかろうじて筑後に逃れて、柳川城主・蒲池鑑盛の保護を受けました。龍造寺家兼は90を超えた高齢である事から、厳しい追及を受けずに生き延びました。翌年、蒲池氏の支援を受けた龍造寺家兼は、老躯を押して再起の為に挙兵しました。鍋島清房(直茂の父)らがこれに呼応したため、見事に馬場頼周を討って龍造寺氏を再興しました。そして、曾孫(周家の子)・龍造寺胤信を還俗させ、後事を託すと間もなく波乱に富んだ93年の人生を安らかに終えました。この龍造寺胤信が、後に「肥前の熊」と言われる事になる、龍造寺隆信です。龍造寺氏は龍造寺家兼の代に、後に龍造寺隆信が飛躍を遂げる基礎を固めました。

次に、徳川光圀が「大日本史」の編纂に着手です。徳川光國またの名を「水戸黄門」と言う水戸藩第2代藩主で「天下の副将軍」が、「大日本史」の編纂を開始しました。神武天皇の「天孫降臨」から「南北朝統一」までを書き記した歴史書です。中国の「史記」を読み感銘した黄門様は、それまでの非行を改めて心を入れ替えました。自分も歴史書を編纂したいと思うようになり、編纂作業を開始しました。しかし、「明暦の大火」で水戸藩邸が消失してしまい、中断する事になります。しかし、すぐに編纂作業を再開しました。「大日本史」は「尊皇論」の立場で書かれ、「南朝正統論」が展開されました。ここから、幕末に水戸藩が尊皇運動をする「尊皇思想」が出来上がる事になりました。黄門様の死後も編纂作業は引き継がれ、水戸藩の一大事業となりました。

その次に、皇太子・明仁親王(現・天皇)と正田美智子(現・皇后)が御結婚です。明仁親王と正田美智子の2人は、軽井沢のテニストーナメントで対戦しました。これが運命の出会いとなりました。その後、2人は親交を深めて、民間から初の皇后誕生となりました。正田美智子の愛称「ミッチー」から名付けられた「ミッチーブーム」に、世の中が沸き上がる事になりました。後に浅香光代、三橋美智也、及川光博もミッチーと呼ばれます。

最後に、瀬戸大橋開通です。瀬戸大橋は、瀬戸内海を跨いで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ10の橋の総称です。瀬戸大橋とは「下津井瀬戸大橋」、「櫃石島高架橋」、「櫃石島橋」、「岩黒島高架橋」、「岩黒島橋」、「与島橋」、「与島高架橋」、「北備讃瀬戸大橋」、「南備讃瀬戸大橋」、「番の州高架橋」から構成されています。これにより、宇高連絡船は廃止になりました。

今日の誕生日:マシュー・ペリー、ジョセフ・ピュリッツァー、淀川長治、永六輔、水島新司、和田アキ子、スティーヴン・セガール、さだまさし(元クレープ)、六平直政、ピーター・マクニコル、高原兄(元アラジン)、広澤克実、松永幹夫、鈴木尚典、 ロベルト・カルロス、ミッツ・マングローブ、山田ルイ53世(髭男爵)、赤星憲広、木村佳乃、堂本剛(Kinki Kids)、高橋久美子(元チャットモンチー)、上原あずみ、水卜麻美 、アイネスフウジン、ダイタクヘリオス、ヤシマソブリン、ダンスインザムード、ヴァーミリアン

今日の記念日:女性の日、建具の日(良い戸の日)、インテリアを考える日、ヨットの日、駅弁の日、四万十の日、交通事故死ゼロを目指す日、教科書の日、ステンレスボトルの日、ピークシフトの日、酒盗の日、ヨード卵の日、シートの日、酔い止めの日、フォトの日 、フォントの日、ほうとうの日、100の日

今日の「今日訓」:本日は、1946年に戦後初の総選挙で初めて「婦人参政権」が行使された事で「婦人の日」が制定され、1998年に「女性の日」に改称されました。統計が取られ始めた1968年以来、死亡事故の起きなかった日は1日も存在しない事を鑑み、交通死亡事故がこの1日だけは1件も起きない事を願い、全国的に死亡事故防止を呼びかける「交通事故死ゼロを目指す日」、「良い(4)戸(10)」の語呂合わせで「建具の日(良い戸の日)」、4月は入学・入社・新学期など新しい事が始まる月で、10日は「住」と「十」が同音である事から「インテリアを考える日」、「ヨッ(4)ト(10)」の語呂合わせで「ヨットの日」、4月は駅弁の需要拡大が見込まれる行楽シーズンで、「弁当」の「とう」から10日、さらに「4」と「十」を合成すると「弁」に見える事から「駅弁の日」、「し(4)まんと(10)」の語呂合わせで「四万十の日」、「良(4)い図(十)書」の語呂合わせで「教科書の日」、中国語の四の「スー」と英語の10の「テン」で「ステン」と読む語呂合わせで「ステンレスボトルの日」、「ピークシフト自販機」とは「東日本大震災以降」に求められている電力使用のピーク時の消費電力を減らすニーズに応えた自動販売機の事で、「シフ(4)ト(10)」の語呂合わせで「ピークシフトの日」、「4(しゅ)10(とう)」の語呂合わせで「酒盗の日」、「ヨー(4)ド(10)」の語呂合わせで「 ヨード卵の日」、「シー(4)ト(10)」の語呂合わせで「シートの日」、「酔い(4)止め(10)」の語呂合わせで「酔い止めの日」、「フォン(4)ト(10)」の語呂合わせで「フォントの日」、「フォ(4)ト(10)」の語呂合わせで「フォトの日」、「ほう(4)とう(10)」の語呂合わせで「ほうとうの日」、4月10日は1月1日から数えて100日目となる事から「100の日」となりました。
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