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2020年03月29日00:54

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3月29日の日記

今日の出来事:1379年−南北朝動乱:蓑原の合戦、1683年−八百屋お七処刑、1868年−戊辰戦争:偽官軍事件「分遣隊」処刑、1868年−戊辰戦争:甲州勝沼の戦い、1872年−東京日日新聞(現・毎日新聞)創刊、1894年−甲午農民戦争(東学党の乱)

今日は、南北朝動乱:蓑原の合戦です。蓑原の合戦は、現在の宮崎県都城市で行われた今川満範と島津氏久の合戦です。南北朝時代の九州は、南朝の征西大将軍・懐良親王と菊池武光の活動で南朝が優勢で、北朝の室町幕府が度々派遣した九州探題も征西府に歯が立たずに辞任していきました。幕府は1370年に今川了俊を九州探題に任命しました。今川了俊は、中国地方と九州の国人衆と筑前の少弐冬資、豊後の大友親世、大隅の島津氏久の協力を取り付けて大宰府を落としました。菊池武光・武政父子の急死もあり、征西府を追い詰めていきました。しかし、1375年に今川了俊が少弐冬資を暗殺した「水島の変」により、憤慨した島津氏久と大友親世が離反しました。この混乱に乗じた征西府が、探題方を襲撃しました。今川了俊は、周防・長門の大内義弘の救援で征西府を撃破しました。大友親世も大内義弘の仲介で今川了俊の元へ戻りましたが、島津氏久と甥の薩摩守護・島津伊久は南朝に寝返り、九州統一の大きな妨げとなりました。今川了俊は、島津氏の打倒を図り、島津氏久、伊久の大隅・薩摩守護職を取り上げました。翌1376年に、末子・今川満範を薩摩・大隅・日向の総大将として南九州に派遣しました。今川満範は、薩摩・大隅・日向・肥後国人衆を集結させ、相良前頼の協力で肥後人吉に到着しました。その後、日向三俣の高城に入城し、島津氏久の叔父・樺山資久が籠もる小山城を落とし、氏久の従弟・北郷義久、音久兄弟が籠城している都之城に進軍し、包囲網が整いました。ところが1377年、島津氏久と伊久が今川了俊に降伏しました。今川了俊は所領安堵と領土返還を約束しましたが、国人衆は島津氏久の逆襲を恐れて南九州国人一揆を結成しました。1378年、今川了俊は島津氏久の遅参を理由に、大隅国人に三俣院の今川満範の元へ参陣する事を催促しました。一揆と合流した今川満範は都之城を包囲しました。都之城を守る北郷義久・樺山音久は寡兵ながら奮戦し、島津氏久も新納実久、本田重親らを率いて志布志城から出陣して都之城の後詰に向かいました。1379年3月29日に、都之城の西方の本の原で両軍は激突しました。北郷義久は城から打って出て激戦となり、島津軍は北郷義久の弟・基忠、忠宣と本田重親が戦死しました。今川軍も相良・伊東・渋谷らの大将が戦死する大敗となりました。蓑原で再度合戦が行われましたが、この戦いも島津軍が勝利しました。敗れた今川満範は、都之城から下財部方面へ撤退しました。島津軍は今川方の姫木城も落とし、今川軍の戦線は後退しました。その後、今川満範は南九州の掃討と都之城包囲を敢行しましたが、どちらも失敗に終わりました。1387年に島津氏久が亡くなった後、子・元久も今川了俊と対立しました。しかし、1395年に今川了俊が九州探題を解任されました。島津元久は幕府から薩摩・大隅・日向守護職に補任され、南九州における支配権を確立しました。今川了俊は九州探題を罷免された後、遠江と駿河の半国守護を命じられ、弟・仲秋、甥・泰範と分割統治する事となりました。

次に、八百屋お七処刑です。16歳の八百屋の娘・お七が、3日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられました。お七は、前年の「天和の大火(お七火事)」で避難した寺で、寺小姓・生田庄之介と出会いました。生田庄之介の事が忘れられないお七は、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜に放火しました。火はすぐに消し止められましたが、お七は御用となりました。当時は、放火の罪は火あぶりの極刑に処せられる事になっていましたが、15歳以下ならば極刑は免れる事になっていました。そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは15だろう」と問いましたが、その意味がわからなかったお七は正直に16歳だと答えてしまいました。こうして、お七は放火の罪で鈴ヶ森刑場にて火あぶりに処されました。お七が丙午(ひのえうま)の年の生まれであった事から、丙午生まれの女子がそれから疎まれるようになりました。この後、江戸で風邪が流行り「お七風邪」と呼ばれました。これらの事から3月29日は、「八百屋お七の日」に制定されました。

その次に、戊辰戦争:偽官軍事件「分遣隊」処刑です。「赤報隊」は、新政府に「偽官軍」と通達され、「追分戦争」で壊滅しました。相楽総三ら幹部8人が捕えられて処刑されました。さらに、「赤報隊」の「分遣隊」を率いていた桜井常五郎らが捕えられ、1868年3月29日に追分宿外れの追分原という刑場で桜井常五郎、中山仲、小林六郎の3人が処刑されました。

その次の次に、戊辰戦争:甲州勝沼の戦いです。「大政奉還」が成り、武闘派の棟梁と警戒されて土佐藩の大司令の職を解かれ、さらに総ての役職を被免されて失脚していた乾退助は、失脚を解かれて藩軍の大司令に復職しました。乾退助は、谷干城の報告を受けて、「薩土討幕の密約」を履行するため、「土佐勤王党」の流れをくむ隊士や、勤皇の志を持った諸士からなる「迅衝隊」を編成しました。京都で在京の土佐藩士と合流した「迅衝隊」は、軍事に精通した乾退助を大隊司令兼総督としました。乾退助はさらに朝廷より東山道先鋒総督府参謀に任ぜられ、3月7日に京都を出発して東山道を進軍しました。この京都を出発した日が、乾退助の12代前の先祖・板垣信方の320年目の命日にあたる為、天領・甲府城の目前である美濃で武運長久を祈念し、旧武田家家臣・板垣氏の末裔である事を示して板垣氏に姓を復しました。東山道(現・中山道)を進む東山道先鋒総督府軍は、諏訪で本隊と別働隊に分かれました。本隊は伊地知正治が率いて中山道を進み、板垣退助が率いる別働隊は甲府を目差しました。甲府城入城が勝敗を決すると考えた板垣退助は、「江戸〜甲府」と「大垣〜甲府」までの距離から不利を計算した上で、急ぎに急いで駆け足で進軍しました。甲州街道を進んで、土佐「迅衝隊」(約600名)と、因幡・鳥取藩兵(約800名)と共に、3月28日に甲府城入城を果たしました。板垣退助が旧武田遺臣であると知れると、徳川施政に苦しんでいた領民に大歓迎で迎え入れられました。旧武田家家臣の子孫の浪人や神官、長百姓らが協力を願い出た為、甲斐の郷士らで構成された「断金隊」や「護国隊」が組織され、武田信玄の墓前で結成式が行われました。「新選組」は1868年1月、旧幕府軍の一員として「鳥羽・伏見の戦い」の「淀千両松の戦い」で新政府軍と戦って敗れ、江戸へ移りました。新政府軍は東海道・東山道・北陸道に別れ、江戸へ向けて進軍しました。「新選組」局長の近藤勇は、抗戦派と恭順派が対立する江戸城で勝海舟と会い、天領である甲府を新政府軍に先んじて押さえるよう出陣を命じられました。「新選組」は「甲陽鎮撫隊」と名を改め、近藤勇は「大久保大和」、副長の土方歳三は「内藤隼人」と変名し、3月24日に江戸を出発しました。新規募集の隊士を合わせた約200名を従え、大砲2門・小銃500挺・軍資金5000両で甲州へ進軍しました。近藤勇は混成部隊を指揮するため、行軍中に大名旅行のように振舞い、さらに天候の悪化なども重なったため時間を空費しました。沖田総司は病気のため、途中で江戸に戻りました。この間、土佐藩の板垣退助、薩摩藩の伊地知正治らが先鋒総督府参謀として、新政府軍3000を率いて甲府城に入城してしまいました。「甲陽鎮撫隊」は甲州勝沼まで前進し、甲州街道と青梅街道の分岐点で軍事上の要衝であるこの地に布陣しました。300の兵は恐れをなして次々脱走し、121まで減りました。近藤勇は会津藩の兵がこちらへ向かっていると言い、なんとか脱走を防ぎました。土方歳三は神奈川方面へ赴き、旗本の間で結成されていた「菜葉隊(隊長・吹田鯛六)」に援助を頼みましたが黙殺されました。3月29日、「甲陽鎮撫隊」と新政府軍との間で戦闘が開始されました。土方歳三の義兄・佐藤彦五郎が率いる「春日隊」も参加しました。戦況は甲陽鎮撫隊が不利で、新政府軍からの砲撃で大砲は破壊されました。会津の援軍が虚報だとわかると、近藤勇、永倉新八、原田左之助らの説得も空しく、兵は逃亡しました。この戦いで、会津藩士・柴田八郎、新選組隊士・加賀爪勝之進、上原栄作が戦死しました。「甲陽鎮撫隊」は八王子へ退却した後に解散し、江戸へ敗走しました。近藤勇らはその途中で、土方歳三と合流しました。

最後に、甲午農民戦争(東学党の乱)です。閔氏政権に不満を持つ「東学党」の農民達が反乱を起こしました。全準を指導者とする農民軍は、各地で政府軍を破って全羅道の全州を支配しました。これに驚いた閔氏政府は、援軍を要請しました。清と日本はすぐに朝鮮に出兵しました。しかし、清と日本が漢城で対峙してしまいました。慌てた閔氏政権は農民軍と和約しました。こうして、農民権力による自治が誕生しました。その後も、清と日本は対峙を続けました。閔氏政権は反乱が収まったからと、両国に撤兵を要請しました。すると日本軍は「大院君」を担いでクーデターを起こし、閔氏政権を追放して金弘集政権を誕生させました。そして日本軍は、新政権に清の討伐を要請させる事に成功しました。この後「豊島沖海戦」と「成歓の戦い」を経て両国は宣戦布告します。こうして、「日清戦争」が始まる事になります。

今日の誕生日:大内義興、村上義清、室鳩巣、藤田幽谷、ジョン・タイラー(第10代アメリカ合衆国大統領)、アレクセイ・クロパトキン、サイ・ヤング、実相寺昭雄、ジョン・メージャー、ヴァンゲリス、ボビー・キンボール(TOTO)、江口寿史、野沢直子、宇津本直紀(元DEEN)、西島秀俊、鈴木彩子、田山真美子、☆Taku(m−flo)、桜庭あつこ、篠原ともえ、片桐華子(元Say a Little Prayer)、滝沢秀明(タッキー&翼)、鈴木亮平、里田まい(カントリー娘。)、阪田瑞穂(元美少女クラブ31)、佐藤唯、深川麻衣(元乃木坂46)、石丸千賀(SUPER☆GIRLS)、柏木ひなた(私立恵比寿中学)、江籠裕奈(SKE48)、エイシンサニー

今日の記念日:マリモの日、八百屋お七の日、作業服の日

今日の「今日訓」:本日は、1952年3月29日に北海道阿寒湖のマリモが国の特別天然記念物に指定された事から「マリモの日」、八百屋の娘・お七が火刑に処された事で「八百屋お七の日」、「3(さぎょう)2(ふ)9(く)」の語呂合わせで「作業服の日」となりました。
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